2020年12月15日火曜日

菅政権の構造的問題が明らかになってきた

 総理になって3ヵ月、菅政権の長所も、短所も見えてきたように思う。まず長所から指摘すると、菅氏の打ち出した、方針は全体として評価できる点が多いと思う。

デジタル庁の創設、マイナンバーカードの重視、6Gへの取り組み、携帯電話料金の引き下げ、カーボンニュートラル、不妊治療のサポート、開かれたインド太平洋戦略、地銀の再編、中小企業の再編、良い着眼点のものが多いと感じている。私の専門である6Gと外交問題のインド太平洋戦略には賛成できないのだが、それらについては別の機会に述べることにしたい。

その一方でコロナ対策で、GoTo事業にこだわりすぎて、感染が拡大し支持率は下がっている。私はこれは単なる判断の誤りではなく、菅総理自身の国を動かす手法の問題から来ていると思っている。以前書いたように菅総理の手法はマイクロマネージメントと人事権を背景にした脅しによる突破だと思っている。この感触はこの3ヵ月で強くなった。

整理すると、菅総理の国の課題と改良点に関する着眼点はなかなか良く、本人もそれに自信を持っている。そして、官僚の抵抗を排除して実行させることが、重要だと考えている、ということである。しかし、彼の着眼点は具体的すぎて、もっと現場が考えるべき内容である。このように具体的な眼に見える点にトップの眼が行きすぎるのがマイクロマネージメントである。例えば「携帯電話料金が高い」というのは総理が言うべきことではなく、「元国営だった事業が民営化して十分に競争環境ができているか」が総理が考えるべきことだと思う。

この手法の問題点は官僚が考えなくなる点である。総理の指示が具体的で、強い強制力を持つので、命令を実行することについてはエネルギーを注ぐが、自ら解決策を考えようとはしない。コロナ感染対策では、感染を止めようとすると経済活動が低下し、経済を回そうとすると感染が拡大するという難しい問題である。このような問題に関しては総理から具体的な指示があるまでは官僚は動こうとしない。大臣ですらその傾向があると私は感じている。

本来なら、「経済も回したいし、感染も抑えたい。何か良い方法は無いか?」と官僚に問いかけ、官僚から様々なアイデアが出て、良さそうなものを実行するのが本来の筋であるのだが、現在は総理と官僚の間に信頼関係は無く、総理の側近がアイデアを出さないと前に進まない、というのが私の受けている印象である。おそらく総理の側にも、官僚の側にも相手に対する不信感ができており、改善は難しいように思う。官僚は層も厚く、優秀な人もたくさんいる。官僚から様々な提言が出るようにするのが総理の重要な仕事だと思う。

この種の問題はマイクロマネージメントの必然の帰結である。大きな組織ではそれを避けるようにするのがトップの重要な心構えだと思うのだが、日本ではそれを指摘する人が殆どいないのが残念である。

2020年11月24日火曜日

窓の二重化で温かくなった

 ウィトラのオフィスは築45年の古い団地の一室である。5階建てのビルなのだが、どうも断熱が悪く、冬は冷え冷えとしていた。同じように感じていた人が多かったと見えて、団地の管理組合の理事会で、積み立てていた管理費を使って、全戸、窓を二重窓にやり替える工事をすることが決まった。

ウィトラの部屋は先週の14日に工事が行われた。朝の8時過ぎに現場監督の人が来て部屋の状態を調べてカーテンを外したり、窓際のものをよけたりする。それから職人が4-5人入ってきて窓を取り換える。11時頃に作業が終わり最後に現場監督がまた来て状態をチェックして、注意点を説明して終わりになる。この日は暖かかったので長時間窓を開け放しても寒くはなかったが、寒い日や雨の日なら大変だったと思う。皆、「三協アルミ」の作業着を着ていたが作業員は別会社の人のような感じだった。作業をする人と検査をする人は別会社のほうが馴れ合いにならなくてよいのかと感じた。

窓枠を含めて45年前のものが新品になったのでずいぶんきれいになった。窓交換後、暖かい日が続いていたので、断熱効果については今一つぴんと来ていなかったが、今日は寒かったので断熱効果を実感できた。今日は暖房をつけるほど寒くはなかったのでそれほど際立った差は感じられなかったが、今後冬になると明らかな差を感じるだろうと思う。

二重窓はなかなか良いものである。

2020年11月14日土曜日

米国大統領選挙を日本としてどう受け止めるか

米国大統領選挙は民主党のバイデン候補の勝ちで 決着した。トランプ氏はまだ粘るだろうが、逆転することは無いだろう。バイデン氏は常識人なのでそんな変な行動はとらないと思われるので一安心である。テレビを見ていると「どっちが勝つか」「バイデン氏になると日本にどういう影響が出るか」を盛んに解説しているが、私は少し違う点が気がかりになっている。

私が気にしているのは、今回が接戦であって、米国人の約半分はトランプ氏を支持していたという点である。つまり、「将来トランプ氏のような人物がまた大統領にならないとも限らない」ということを気にしている。具体的には「日米同盟を基軸とする」ということに疑いを持たなくて良いのか、ということである。

今、日米同盟を解消したら、困るのはどちらか? 両方困るが、その程度は圧倒的に日本である。トランプ氏はこれを明確に意識しており、彼が2期目を続けていたら数々の難題を持ちかけていただろうと思う。もはや米国は信じてついて行けばよい相手ではなく、利益があるから同盟する相手と捉えるべきである。約束を破棄したときに困る度合いに大きな差があれば、こちらが困るときにはつけこまれる。相手が困るときには他の面で有利になるようにする、と考えるべきである。

韓国は安全保障上は日本と近い立場にある。しかし、現在の韓国政府は米国の言うことを聞かずに、北朝鮮と接近しようとしている。当然、米国政府からは嫌われているが、米国は時に韓国に対して強い制裁を加えてはいない。これは韓国が「米国と切れたら中国の側に行く」という姿勢を見せているからだと思っている。これは米国にとって大きな問題であるので、韓国政府が嫌いでもあまり強い態度には出られない。一方の中国は韓国に対してWelcomeという姿勢を見せながらも、「自分たちと対立すると韓国には行先が無い」と見切っていて韓国に対して厳しい態度で接している。韓国政府にとってストレスのたまる状況だが、米国政府の意に染まないことを主張するには仕方のないことだと思う。

「日米同盟を解消するべきだ」などと主張する気は全くない。日米同盟は堅持するべきだが、「日米同盟が揺るがなければ大丈夫」と考えるのはナイーブだろう。米国が紳士であるとは限らない、野蛮人になることも十分あり得ると考えて外交政策を考えるべきだろう。「日本と喧嘩すれば米国が決定的に困るのは何か?」と意識して国の運営を考えるべきだと思う。

2020年10月17日土曜日

見えてきた菅政権の特徴

 菅政権が成立して1か月が経過した。まだ成果はそれほど見えないものの、菅総理のやり方はかなり見えてきたように感じている。メディアでもいろいろ言われているが、私の感じ方は少し違うようなので、ここで整理しておきたい。

・菅総理のやり方はマイクロマネージメント
囲碁には「着眼大局、着手小局」という言葉がある。全体を見渡して方向性を決め、具体的な打ち手は細かい読みを積み重ねて決めるべきだ、という意味である。菅総理は、着眼はあまり気にしておらず、着手をどうするかが政策の殆ど全て、という印象である。

例えば「携帯電話の料金を安くする」という話が政策の目玉とされているが、本来は事業者間の競争を促して、イノベーションを起こして、結果として携帯電話料金が割安になる、というのが政策だと思うのだが、菅総理は直接「携帯電話の料金を安くする」ことを求めている。分かりやすいし結果も出やすいと思うがやり方によっては日本経済の底上げにつながるかどうかは不明である。

地銀の統合や中小企業の統合も同様で、具体的アクションであり、できたかどうかがはっきりわかる目標である。会社で言えば方向性を示す社長というよりも、具体的なコストダウンの手法を示す社長、という感じである。

これに対して「デジタル庁」の設立は少し性格が異なっている。デジタル庁を設立したからといって日本のDXが進むとは限らない。本来は「日本のDXをどう推進するか」、がデジタル庁の目標となるはずだが、それでは具体的な動き方が分からないので「官庁のバラバラのITシステムを統合する」という具体的に動ける目標にしたのは菅総理らしいと感じている。しかし、前回も書いたが、これを実行するのは非常に難しい。一つは官僚が既得権を手放すかどうか、という点で、手放させるためには、平井大臣ではなく、菅総理自身が音頭を取る必要があると私は思っている。権限をデジタル庁に集中させたとしてもまともな要求条件を整理できるかも非常に難しく、この点に関しては私は悲観的である。

全体として菅総理の打ち出す方向性は分かりやすく、大きく国を動かすことは無いが、それなりの効果は生むだろうと思っている。

・強引な人事は菅政権の本質
ネガティブな面として学術会議の人事に現れた「脅しの手法」がある。この問題は前回私が期待したように連日メディアで取り上げられており、収束の気配は見えない。「学術会議メンバーは公務員である」とか「そもそも学術会議のあり方は現状で良いのか」などと論点をそらそうとして色々言っているが、納得できる話ではない。「私の気に入らない行動をとる人物は排除する」というのが菅総理の権力の最も重要な部分になっているので「6人を排除したことを取り消しもしないし、説明もしない」という点は決して譲らないだろうと予想している。それで良いわけではなく、良くないと思うのだが譲ってしまえば総理を続けられなくなるだろうと思っている。

企業では人事権を持つのは社長である。「人事は説明しない」というのが日本社会の特徴だが、それでも社員から見て納得性のある人事と、納得性のない人事とがある。納得性のある人事をするのが普通だが、たまに納得性のない人事を平気でする社長がいる。社長本人が優秀ならそれでも業績は向上するが、社長が交代した後で会社がガタガタになる。社員の士気が下がるからである。私は、菅政権に関して、この点を大いに気にしている。

2020年10月2日金曜日

学術会議メンバーの政府の一部拒否は理由を質すべき

 政府が学術会議メンバーの推薦者の内6名を採用拒否した。加藤官房長官によるとこれは総理の権限で、総理の意思であり理由は明かせない、とのことである。私が懸念していた菅総理の負の面(秘密警察的側面)が表に出てきた例だと思う。人事の問題だというが総理が決めるべき問題だと少なくとも私は考えていない。学術会議でメンバーを選出し、総理大臣は形式的に任命しているだけだと思っている。総理大臣が天皇から任命されるのと似たような感覚で少なくとも私は捉えている。

しかし、菅総理は理由を説明せずに、一部を拒否し、「自分の権限である」と宣言した。これは「桜を見る会」などよりもはるかに大きな問題で、徹底して理由を問いただすべきだと思う。野党は国会で問題として取り上げるとしているが、どこまで食い下がるかが問題だと思っている。理由なしに学術に関して「自分の気に入らないから」という理由で人事権を振りかざすことは認めるべきではない。

これは単に学術会議だけでなく、官僚への脅しにつながっていると思う。学者に対してもそうなのだから、より任命権のはっきりしている高級官僚に対しては「自分の言動に忖度した行動をとらないと飛ばすぞ」というメッセージになっていると私は思っている。

この報道に関してはNHKは腰が引けている感じであり、朝日や毎日あたりが突っ込んだ報道をすることを期待している。できればワイドショーなどで連日取り上げてほしいものだと本件に関しては感じている。

2020年9月25日金曜日

囲碁タイトル戦のリアルタイム中継の迫力

 現在、囲碁の名人戦7番勝負が行われており、昨日はその第3局が行われた。20歳の芝野名人に30歳の井山3冠が挑戦しているのだが、ここまでは井山挑戦者の2連勝である。

昨年の今頃は、40歳の張栩名人に19歳の芝野氏が挑むという構図で、その時に、以後の世界では急激に若手が強くなっているので、挑戦者が勝つだろう、と書いた。若手が強くなるのは一番強いのがAIになったので、勉強する環境が誰にでも与えられ、経験の要素が小さくなるからで、棋士本人の思考能力では20歳代がピークだと私は考えているからである。結果は予想通り19歳の挑戦者が安定した勝ち方を見せて名人位を獲得した。その後も若手が挑戦して勝つことが続き、当時30代後半から40代前半の棋士が持っていたタイトルは全て若いほうが勝って、現在のタイトルホルダーの最年長は井山3冠の30歳である。

現時点では日本の囲碁界の最強棋士は井山3冠であることは、衆目の認めるところだが、井山3冠も30歳を迎えたので今後下り坂になっていくと思う。しかし、彼の才能は例外的なので35歳くらいまでは何らかのタイトルを取り続けるだろうと思っている。さて、ここからが今日の本論の名人戦第3局の中継についてである。

名人戦のような大きな対局は中継がつくが、動画中継と、碁盤の盤面のみをコンピュータ表示にして中継するアプリ中継がある。どちらにも解説がつくが、動画中継の解説は殆どが若い人なのに対してアプリ中継の解説者の年代は様々で、昨日は40歳代の人だった。私は普段はウィトラのオフィスでパソコンを使いながら仕事をしているので、インターネットで中継を見ることができるのだが、動画だと、1時間も一手も進まないことがあり、見ているのも退屈だし、仕事も進めにくい。そこでアプリ中継を立ち上げて、仕事をしながら時々どうなっているかを確認するような見方をしている。昨日の解説者はパソコンに慣れていないらしく、入力に時間がかかるようで、解説が遅れ気味だった。

対局は中盤で芝野名人が強手を放って優勢になり、井山3冠がどう巻き返すかが興味の中心だったが、大きな山場が終盤に現れた。その時は双方ともに残り時間が少なくなっており、3分程度で1手進むというペースで非常に難しい戦いが進んでいく。そうなるとアプリ中継の解説者は、おそらく入力が間に合わなくなり、殆ど解説をしなくなった。そこで動画中継アプリ中継の両方を立ち上げて同時に見ていた。

動画中継の解説者は、次々と自分の読みを示して、芝野名人の勝利は間違いなく、そろそろ終わりが来るだろう、と解説していた。ところが井山挑戦者の鋭い勝負手が出て全局的に大きな戦いになり、どちらが勝っているか分からないような状態になった。解説者自身も興奮して「これは大変なことになった」を連発していた。結果的にはわずかに井山挑戦者の反撃が及ばずに、芝野名人が1勝を返した。

この中継を見て感じたのは、「リアルタイム中継」の迫力である。スポーツでも何でも、録画よりはリアルタイム中継に迫力を感じる。囲碁の中盤のように30分で1手というような場面ではリアルタイム中継は退屈だが、終盤のリアルタイム中継は対局者の表情も見える動画中継に迫力がある。

同時に解説者の資質についても感じるところがあった。ITを使い慣れた解説者でないと、解説が遅く間に合わなくなってしまう。解説者よりも対局者のほうが強いので、対局者の狙いを解説者は正しく把握することができない。これは仕方のないことなのだが、若い解説者は他の人の意見を聞いたり、どんどん読みを進めて間違えることを恐れない。これに対して年長者はプライドがあるのか、他の人の意見をあまり聞かず、自分でもどれが良いか分からないときは解説できない状態になる。囲碁の解説でも、若手優位がIT技術の進歩で加速しているように感じる。

2020年9月16日水曜日

菅義偉新総理への期待と危惧

 予想通り、菅義偉前官房長官が自民党総裁になり、内閣総理大臣に任命された。

菅氏に関して私は裏で動く印象があって、あまり良いイメージを持っていなかったのだが、自民党総裁選挙での色々な発言を聞いて評価は上がってきた。デジタル庁の創設、地銀の集約、中小企業の集約など、着眼点は良く、実行できそうな政策を掲げていたと思う。ちなみに自民党の総裁選挙での発言を聞く限り政策として最もしっかりしたビジョンを持っているのは石破氏だと感じたが、具体性では菅氏だった。

縦割り行政打破のために、例えば川の氾濫防止のために、国土交通省の管理するダムだけでなく、農水省や自治体の管理するダムでも意識を合わせて事前放流するなどは、菅氏が縦割り行政打破の事例として挙げていたが、ちょっとした協力関係で実現できることなので、この種の事例は今後増えてくることが予想される。一方でデジタル庁のような大きな話は、各省庁で握っている権限を手放させて一か所に集約しないとうまくいかない。これは官僚の強い抵抗が予想されるので、よほどぶれない、強い大臣でない限り前に進まないだろうと思っている。

私が推奨している公共LTEという各省庁の無線システム統一化の話も、規制改革会議では「進めるべし」という結論が出ているにもかかわらず、各省庁の無線官僚が抵抗していて話は動いていない。今回、菅氏が総理大臣になるので公共LTEも動くかと期待したが、武田総務大臣では動かせないだろう。デジタル庁はまだできていないがデジタル担当大臣の平井氏が担当になるとすれば、全くの力不足である。いずれも、菅氏自身がかなり情熱を傾けないと前に進まないだろうと思う。

私が大きな問題を抱えていると思っているのは厚労省で、福利厚生関係、医療関係のいずれも官僚の意識に大きな問題があると思っている。民主党政権時代に長妻大臣が官僚と対立して全くうまくいかなかったが、安倍政権に代わってからも厚労大臣は官僚をコントロールできていない。COVID-19対策では医療官僚をどう動かすかが問題となったが、今回官房長官に移った加藤大臣は全く官僚をコントロールできず、厚労省のスポークスマンとしてしか機能していなかったと思う。官邸がPCT検査を増やそうとしても、なかなか増えず、いまだにどこがボトルネックであるかすら明らかになっていない。今回、石破派の田村大臣を任命したが、石破氏本人くらいでないと動かせないだろうと思う。今回の内閣は全体として、手堅い感じはあるが、大きな仕事はできず、細かい改良を積み上げる内閣になると私は予想している。

一方、危惧も感じている。それは安倍政権時代に行った官僚システムの破壊である。特に森友学園問題における財務省、加計学園問題における文科省では正当性のない人事を行い、忖度体質を作ってきた。菅氏はこの対応でも大きな役割を担ったと思っている。官僚の側にも問題がある場合は少なくないので、政治家がトップ官僚の人事を握っていることは悪くはない。しかし、菅氏は正当性のない人事でも行うような人物であることは十分に注意しておく必要があると思う。

2020年9月11日金曜日

日本の社会哲学は見直しが必要

 ここ数年、私は1年に1回程度、社会哲学に関するブログを書いている。社会哲学とは「社会性を哲学する」というような意味合いで使われることが多いようであるが、私は「社会を特徴づける哲学」もう少し具体的に言うと「社会を特徴づける価値観」という意味で使っている。

「特徴づける」とは他の社会と異なって重要視されている価値観、と言える。企業などで独自の価値観を持っていてそれに合う従業員の実を採用するイケアのような企業は「企業哲学」を持っていると言えるだろう。ここでは国毎に異なる価値観つまり国の哲学を対象としたい。

例を挙げると米国の社会哲学は「自由と競争」、ドイツの社会哲学は「論理の積み上げ」、北欧の社会哲学は「自立した個と相互扶助」であると思っている。日本はどうかというと「組織に対する深いコミットメント」だと思っている。日本の企業人の犯罪は「組織のため」ということが非常に多い。これに対して外国の企業人の犯罪は「自分のため」が殆どである。日本人は組織を護るためならば自分個人のためよりも反社会的行動をとる規律が下がるように思う。

また、大学でも企業でも日本では「ある組織の一員になる」ことを非常に重視して、組織のメンバーとなった後は組織が「個人を育成してくれる」という期待を持っているし、組織でもできるだけ全員を引っ張っていこうとする。

自民党の総裁選挙であっという間に実質的勝者が決まってしまったのも、自民党の議員が自分で選択しようとせずに、自分の親分の判断に無条件で従うような社会になっているからだろう。小泉元総理が派閥を壊そうとしたが、彼が総理大臣から離れるとたちまち派閥原理に戻ってしまった。国会議員も自分の親分がいないと不安になるのだろうと思う。

このような日本の社会哲学には良い面もあるのだが、今後世界との競争が激化すると思うと、勝ち抜けないのではないかという危惧を私は感じている。20世紀前半に共産主義が資本主義に代わる概念として登場して一時的にはかなりの勢力になったのだが、結局は共産主義国は経済的に発展せず、経済運用としての共産主義は消えていった。これは計画経済はいかに良くできたものでもイノベーションが起こりにくく、個人が欲望に基づいて次々とアイデアを出す資本主義に追従できなかったということだと思っている。これからの社会はイノベーションを起こしやすい仕組みになっていないと淘汰される。イノベーションを起こしやすくするには個人個人のアイデアが出やすくするする仕組みが不可欠だと思っている。

それではアメリカ型にすれば良いかと言うとそうではない。日本の特徴を生かした価値観を打ち出していく必要がある。昨年私は「和して同ぜず」はどうか、と書いたのだが、今はこれでは弱く、もっと個人の自立を強く打ち出す必要があると感じている。ただし現時点で適当なアイデアは無い。いずれにせよ、「日本の社会哲学はどうあるべきか」、広範な議論が必要だと思う。




2020年9月7日月曜日

日本人はプログラムは書けるがソフトウェア開発は不得意

 私は日本のソフトウェア開発力が低いと何度も書いてきた。これは政府でも認識されているようで小学校からプログラミングの授業を導入すると言われている。プログラミングはソフトウェア開発の重要な要素なので子供の頃から教えることで一定の効果はあると思うが、それでは問題は解決しないと私は思っている。私は日本人のプログラミング能力は低くないと思う。

ではなぜ、日本人のソフトウェア開発力が低いのか、事例を挙げて説明してみよう。私が大学に勤めていた頃、定期的に自分が主催で講演会を開催していた。講演会のたびにアンケートを取りその結果を将来の講演会の参考にしていた。100枚くらいのアンケート用紙を学生に渡して「これを分析するソフトを作ってほしい」と言えば、ある程度ソフトウェアを勉強した学生なら簡単に作る。こういう仕事は日本人は決して不得意ではなく、むしろ得意かもしれない。

ところが、「講演会は何度も開催するのでそのたびに分析する必要がある。全体として分析の手間を最小にするプログラムを作ってほしい」というと、学生は困ってしまう。将来、どんな講演会を開催するかは決まっていないし、単独公演の場合も、シンポジウムも、パネルディスカッションもある。これを作るためには「講演会とは何か」を考えて抽象化する必要がある。決まっていないことをあれこれ悩んでも仕方がないのだが、このようなことをまず考えて、自分なりに整理してから取り掛かると、出来栄えが違ってくると思う。日本人は小学校から高校までこの種の教育は全く受けていないし、大学でも殆どこの種の教育は行われていない。しかし、留学生と話すとこの種の問題に対して手応えのある反応が返ってくることが多いと私は感じている。

言うまでもないことだが、ソフトウェアの特徴は製造コストがゼロで開発コストが殆ど全てだという点である。従って将来を見据えて開発コストを抑えた開発を最初から考えることは重要である。日本人のプログラミングは「ハードウェア開発の感覚で作るソフトウェア」だと感じている。先日、「自治体のシステムを統一する」という政府の動きについて書いたが、ここでも「うまく作れない気がする」という私の懸念はこの「ハードウェア感覚で作るソフトウェア」という点から来ている。

2020年8月29日土曜日

安倍政権を総括してみる

 安倍総理が辞任を発表した。今年に入って、安倍総理の動きに精彩がなく、辞任の速報が流れた時に私の頭をよぎったのは「体調が悪かったから今年は精彩が無かったのか」「コロナ対応を誤ったことがストレスになり体調を悪化させたのか」と思っていたのだが、記者会見を見る限り後者のようである。時に緊急事態制限で経済に非常に大きなダメージを与えて感染拡大を抑え込んだにもかかわらず、解除されるとまたすぐに感染拡大が始まった点は失敗に間違いなく、私は検査不足が原因だと確信している。

ともかく、辞任は確定したので安倍政権の業績を振り返ってみよう。実は私は2018年の5月に「安倍政権を評価すると・・」という題名で安倍政権を評価したブログを書いている。基本的な見方はその時と変わっていないが、その後2年間で評価が下がっている。その点を中心に書いてみたい。

経済政策は55点である。前回は60点だったが、この2年間で点数が下がった。民主党政権から安倍政権に移ってはじめのうちは日銀の資金供給と公共投資で景気が上向いたが、その後経済の足腰を強くする成長戦略はうまくいっていない。この2年間はそのうまくいかない状態が続いて日本の国際競争力も下がり続けている。

外交政策は60点である。これも前回の70点から下がった。これも民主党政権時代に世界的に存在感の無くなった日本のトップとしての立場を世界各国のトップと面談して存在感を取り戻した点は良かったのだが、この2年間は成果と呼べる内容がない。企業のトップでも、日本人は「まず仲良くなる」ことを目指してそれを実現することはできるのだが、その後交渉をまとめることはできない人は多い。総理でなくなった安倍議員が今後世界でどのように受け入れられるかを見れば、相手は安倍氏の何を見て仲良くしていたのかが見えてくるだろう。

農業と観光は前回と変わらず80点である。この2分野に対する当事者の取り組みの意識を変えたのが安倍政権の業績と言えると思っている。

教育、福祉、医療は45点である。前回は50点だったのだが無策が続いて問題が顕在化する段階に来ていると思う。次の総理は大変苦労すると思うが、原因は安倍政権時代にあると思う。

国防・防災は65点で前回と変わらない。全体的にしっかりやっていると思う。特に最近の河野防衛大臣の「イージスアショアの配備中止」「次期戦闘機の自力開発」「中国・韓国に対するしっかりした発言」などは、日本が本当の独立国に向かっていることを感じさせる。安倍総理の意見が入っているのか、河野氏独自の動きなのかは不明であるが・・

全体としては60点で2年前の65点から下がった。アメリカが孤立政策を強めている中で、日本はどうするべきか、方向性を打ち出せていないと感じている。

次期総理に関しては私の中では河野防衛大臣に対する評価が高まっているが、これは国会議員の中で決めることなので、静観する。マスコミが大好きな「誰が誰とくっつくか」と言った議論は私は好きではない。

2020年8月25日火曜日

落ち着きが戻ってきた夏のおわり

 この夏も猛暑も一段落して、過ごしやすくなった感じがする。私は最近は朝5時半心に起床、6時半前に家を出て、9時頃にウィトラのオフィスに付くのだが、家を出た時の日差しは弱弱しく、影が長くなって日陰を歩くのが容易になった。今週から神奈川県立の高校は授業が始まっていて、歩いているとミニスカートの女子高生を眼にするようになった。「秋が近い」という感覚である。
2時間も歩くと、疲れが出てくるのだが、疲れの出方が今年は少しいつもと違う気がする。昨年までは足の下部全体がだるいように感じて、足を台に乗せるなどして心臓より高くすると疲れが取れる感じがしていた。今年はだるさは感じない代わりに足の裏が痛くなってくる。足の裏の周辺部に歩くたびに小さな痛みを感じる。ウィトラのオフィスについてストレッチをすると痛みは軽くなるのだが完全には取れない。椅子に座って仕事をして2時間ほどするとずいぶん楽になり、帰るころには痛みは無くなるのだが、歩いていると若干の違和感は残る。夜寝て、朝になると違和感もなくなる、という生活を繰り返している。

COVID-19の新規感染者数は確実に減少している。これは検査不足と言った問題ではなく、8月の人の動きがいうえに皆が用心しているからと言って良さそうである。夏休みもゴールデンウィークと同様に家の近くで過ごした人が多かったことだろう。今週から夏休みが終わって活動が本格化する人が多いと思うので今週の木曜日くらいに新規感染者数が増えなければ全体として収束に向かっていると言えるのだろう。

この結果は、企業がかなり活動を自粛するとともに、個人も夜の街に出歩くことを控えた結果であって、これを続ければゆっくりと感染者数は減少していくだろう。しかし、それをいつまでも続けることができるのか、少し活動が活発化するようならばまた急拡大すると思う。私自身は高齢者に属するので、できるだけ公共交通機関は使わないようにしようと思っている。

良くテレビなどで「人に会わないのでストレスを感じる」と言っているが、私自身は殆ど人に会っていないがストレスは感じていない。リアルで会うのは家族以外は週に1度ほど買い物をするくらいで、外食も全くしないのでかなり安全性は高いと思っている。

他人との接触は、ウィトラの顧客に遠隔でプレゼンしたり会議したりするくらいだが、最近始めた遠隔の囲碁会が楽しみになっている。以前から「ネット碁」のサイトは複数あったのだが、これは世界中の見知らぬ人と対戦するシステムである。これに対して私の参加している「テレ碁」は、閉じた仲間同士で対戦するものである。碁盤を提供するアプリとZoomを併用しており、使い方が分からないときなどはZoomで会話して詳しい人に教えてもらう。顔を見、声を聴きながら対局するのでかなりリアルの対局に近い感触を持っている。これまで4回ほどトライアルで使い方に慣れて、現在は本格的なリーグ戦に入っている。

COVID-19の新規感染者数が殆ど無くなるまではこのような生活を続けていこうと思っている。

2020年8月9日日曜日

COVID-19の感染拡大は勢いが衰えた?

 マスコミは新規感染者数が増えているというが、私の感覚では先週の新規感染者数は思ったよりかなり少ない。東京は最大1日600人、少なくても500人以上と思っていたが、400人台だった。全国も2000人程度まで行くかと思ったが1600人どまりだった。先週と比べて感染者数の増加の勢いは下がっている。私の予想は等比級数で感染者数が増加するという想定だが、その意味では拡散は遅くなっている感じがする。
この理由は3つほど考えられる。
①国民が用心し始めて、感染拡大のペースが落ちた
②危ない人を狙い撃ちにする「濃厚接触者」の特定がやりにくくなってきた
③検査能力の限界に近づいてきて十分に検査ができなかった

おそらく、この3つとも起こっていると思うのだが、どれがどの程度寄与しているかは私には分からない。来週は学校も企業も夏休みになるので、検査自体も減少するだろう。新規感染者数はおそらく増えないと思う。再来週どうなるかで、上記①②③のどれが寄与しているかが見えてくるだろう。

政府は専門家会議を分科会に組み替えて自分たちに都合の良いように情報を発信しようとしているが、いくら小手先の情報発信をいじっても、感染が治まることは無い。感染が治まるかどうかは科学であり、表現を変えたからと言って変わるものではない。政府は医療体制を気にしているが、これは厚労省の問題意識だと私は認識している。私は感染が拡大しているか、収束に向かっているかが最も重要な要素だと思っている。

お盆の帰省についていろいろな意見が出ているが、これに関しては政府の言う「状況に注意して各自判断」ということで良いと思う。政府が「大丈夫」と言っても「自粛」と言っても個人によって事情が異なるので個人で判断すればよい。但し、日本人は政府がどういったかによって行動が大きく変わるので、その点には留意する必要がある。

テレビなどでは、「帰省するときの注意点」を専門家を呼んでいろいろ紹介しているが、これには私は不満を感じている。一般消費者の立場からすると、「自分が感染しているかもしれない」と思えばそもそも帰省はしないだろう。帰省するのは「自分は大丈夫」と思っているからである。それなのにテレビで紹介されるのは「帰省する人は感染している」という前提に立った行動指針である。これはなかなか受け入れられないだろう。消費者が知りたいのは「帰省中に自分が感染することをどれだけ避けられるか」ということであり、「他の人にうつさないように」というのはエチケットとしての行動だと思っている。

その意味で大きなリスクは、例えば「新幹線の隣のボックスにいる人たちがマスクを外して飲み会を始めたらどうするか?」ということである「。マスクは、不織布のマスクでも感染者のしぶきが飛んで来たらそれを防ぐ効果はあまりないと言われている。新幹線の中で飲み会を始めるような人たちは「危ない人たち」であり、注意して口論になれば一層リスクが高まる。席を異動するか、乗務員に止めさせるように言うかだが、乗務員は難しいだろう。指定席であっても勝手に席を異動してそのような人たちから遠ざかるのが最も現実的な解決法だと思うが、指定席でこのような咳の移動が許されるだろうか? 

私は車での帰省は安全度が高いが、新幹線での帰省はリスクが高いと思っている。テレビでこのようなことを語っているのを見たことがない。テレビで語られるお盆の帰省対策は外していると私は感じている。

2020年8月4日火曜日

自治体システムの統一は日本の長期低落傾向の歯止めになるかも

政府は自治体のITシステムの統一に乗り出すと報じられている。これは定額給付金の配布でマイナンバーを使って管理しようとしたが、自治体のシステムがバラバラでほとんど機能しなかった反省に基づいているという。私はこれは、うまくいけば先日紹介した日本の国際競争力が年々低下していることの歯止めになるかもしれないと言えるくらいの大きな話だと考えている。
以前にも書いたが、日本の長期低落の大きな理由はソフトウェア開発力の低さだと考えている。ここでいうソフトウェア開発力とは決まったアルゴリズムを実現するプログラム力ではなく、将来変わるかもしれない目標に、少しの手入れで対応できるように柔軟性を持たせたソフトウェア開発のことである。日本ではこの種の教育が決定的に欠けており、日本人技術者の能力が低いと考えている。
今回の自治体システムの統一でいうと、まず現状で各自治体がバラバラの作りをしており、皆自分のシステムを変えたくない。8割は共通の業務でも2割は異なっており、皆が納得するような機能を洗い出して整理するのは大変である。頭ごなしに一部の人が決めたシステムを押し付けると大きな反発を招く。日本人はこの種の整理やまとめもうまくないが、もっと大きな問題は出来上がった後の問題である。
この種のシステムは出来上がるまでに何年もかかかるが、完成したころには世界のシステムは先に進んでいる。エストニアの電子政府などは現時点で日本がこれから作るシステムよりも進んでいると思うが、出来上がる頃には更に進んだものになる。世の中のDXの進歩を見ればそれは確実である。このような現時点では見通せない将来の変化に対して、少しの手直しで対応できるように作る能力は日本人には極めて低く、また一から作り直すことになりそうである。この点を乗り越えることができれば、日本の長期低落傾向は止まると思うのだが、実際にそのようなシステムが作れるかと言うとかなり怪しい。
私はこのニュースを見た時、「誰が要求条件を作るのだろう?」「総務省にはできそうにないな」と思っていた。今日の新聞によると内閣府のCIOオフィスが司令塔になるようである。これならば人材をうまく集めればうまくいく可能性はある。しかし、現在のCIOは建設業界の大林組から来た人だそうで、それではこのシステム開発の指揮を取るのはまず無理ではないかと思っている。
現実には自治体の反発があって話が流れてしまう、というのが一番ありそうな話に思うが、ここは日本の将来のために極めて重要なところなのでぜひ日本の英知を集めて基本設計をしっかりやってほしいと思っている。

2020年8月3日月曜日

大相撲、照ノ富士の優勝に拍手

大相撲で幕尻(幕内で一番下位の力士)の照ノ富士が優勝した。大きく報じられているのでご存知の方も多いと思うが、彼は4年前くらいは大関で横綱候補の一番だった。しかし、膝の怪我と糖尿病で休場が続き、地位はどんどん落ちて、序二段まで下がった。そこから復活して、今年の3月場所で幕内復帰を果たし、5月場所が中止になったので今場所は幕内の一番下で相撲を取っていた。
上位力士とは当たらない地位なので当然のように勝ち進み、優勝候補に挙がってきた。一方で上位陣は横綱鶴竜、大関貴景勝、横綱白鵬と相次いでトップ力士が休場したので、急遽、上位力士である大関朝の山、関脇正代、関脇御嶽海との取り組みが決められた。この3人は横綱を除くと現在実力トップの3人であり、横綱の二人は実力はあるものの下り坂で今年中に引退するだろうと私は考えている。
今回の上位3人と照ノ富士の相撲は、朝の山と御嶽海には勝ち、正代には負けて二勝一敗であるが、内容を見ると朝の山と御嶽海は、「強いとは言っても幕内の一番下なのでまともにぶつかれば勝てるだろう」と考えてまともにぶつかった結果、力負けした感じであり、正代は「相手のほうが力が上だ」と考えて思い切って取ったという印象である。
照ノ富士は今回の優勝で次回は幕内上位に上がり、横綱をはじめトップ全員と当たる地位に来るだろう。今回の彼の優勝で皆、「照ノ富士の実力は大関並み」と認識して、負けても良いから思い切った作戦で臨んでくるので次回は今回ほど勝てないと思うが、それでも10勝くらいはすると思う。私としては早く彼に大関に昇ってもらい、白鵬引退後の横綱になってもらいたいと思っている。
心配は今年、9月場所と11月場所が開催されるかどうかだが、無観客なら開催できるだろう。最後にもう一度
照ノ富士関、おめでとう! パチパチパチパチ!!

2020年8月1日土曜日

COVID-19の国内パンデミック

COVID-19の一日当たりの新規感染者数は、東京で500人弱、全国で1500人強になった。東京だけでなく感染が全国に拡大してきたと見るべきだろう。新規感染者数の発表は実際のウィルス感染から10日から2週間遅れていると考えられるから今すぐに手を打ったとしても8月上旬の新規感染者数がさらに増加することは避けられない。
私はお盆のころまでに東京で1日1000人、全国で1日3000人レベルになると思っている。今でも傾向が出始めているがその頃になると検査能力の限界に近づいてきて、「体調が悪いのに検査してもらえない」という声が連日報じられるようになるだろう。そうなると発表される感染者数は実態とどんどん離れてきて、発表される感染者数はそれほど増えないが実際の市中感染はどんどん増えるという状態になりヨーロッパのような本格的なパンデミックになると思っている。但し政府は発表される感染者数が増えないことを理由に「パンデミックではない」と言い張るかもしれない。
政府は「緊張感を持ってみている」とか「憂慮すべき状態だ」とか言っているが実際にやっていることはアベノマスクの再配布とか、Go TO Travelから東京除外とかいった感染防止には役に立たなそうな手しか打っていない。私はこれは厚労省の医療官僚の問題だと思っている。専門家会議を廃止にして分科会として再組織して、御用学者を集めて「専門家の意見を聞いた」という責任逃れの体制を作ってはいるが、感染は科学なのでいくら責任逃れの発言をしても感染が減らないのは明らかである。トランプ氏が「中国の責任だ」と責任逃れを言ったところで米国の感染が治まらないのと同様である。
私は検査を徹底することで感染を抑えられると考えているが、安倍総理は4月時点で「検査能力を1日2万人にする」という低い目標を語った。私は4月8日に「1日10万人を目標にすべき」と書いたが、仮に5月中旬で1日10万人の検査ができて検査を徹底していればもっと感染の広がりを抑えることができたと思う。現在は1日3万人程度の検査能力になっているとのことなので安倍総理の「2万人」は目標ではなく「これくらいならできる」という官僚からの報告を受けてな発言だと分かる。政治家の役割は官僚に目標を示すことである。現政権はそれができていない。
今からでも検査能力はできる限り増やすべきである。しかし、既に1日10万でも不足で、1日100万を目標にするべきだろう。今の進め方では間に合わないだろう。8月末まで特に手を打たなければヨーロッパのように都市封鎖をしない限り、日本はインドを超えてアジア最悪の感染大国になることが予想される。

2020年7月29日水曜日

歌手、弘田三枝子の訃報に接して

歌手の弘田三枝子が突然亡くなったと報じられている。心不全だそうである。私の医師の友人が「心不全というのは、心臓が止まったということしか意味しておらず、なぜ止まったかは示していない。死因を心不全と発表するのはやめたほうが良いと、私は色々な人に言っている」と語っていたことを思い出す。弘田三枝子も数日前までは元気だったそうなので、何かすっきりしない感じを受けている。
弘田三枝子は私の好きな歌手だった。特にVacationに代表される「パンチのミコちゃん」と呼ばれていた初期の歌い方が好きだった。その後、しばらく見かけないと思ったら「人形の家」のヒットを飛ばし、別人のようにきれいになっていた。皆、美容整形だと言っていたがダイエットもかなりしたようである。歌い方も随分しっとりしたものになっていた。
弘田三枝子はそれほどヒット曲を出した訳では無いが、ジャズ歌手としては有名だった。ジャズ歌手はオリジナル曲を出すというよりも、スタンダード曲を独自のアレンジで歌う歌い方に真髄があるので、オリジナルのヒット曲が少ないのは不思議ではない。若い頃、私はジャズが好きで雑誌なども時々読んでいたが、ある高名なジャズ評論家が「弘田三枝子が日本人で一番歌がうまい」と言っていたのが印象に残っている。
私自身、そこまで彼女が好きな訳では無く、コンサートに行ったりCDを買ったりした訳では無いが、テレビに弘田三枝子が出ているとよく見ていた。彼女の出る番組は「ベストテン」のような、一人1曲歌う番組ではなく「ミュージックフェア」のような少ない歌手の歌をじっくり聞かせる番組だったので、好んで見ていた。その時に印象的だったのは、聴いていて彼女の歌にそれほど感動する訳では無いものの、「他の人と比較するとはるかにうまい」と感じた点である。その一例として尾崎紀世彦と共演した時のことを思い出す。尾崎紀世彦はかなり歌のうまい実力派歌手だと今でも思っているが、弘田三枝子の後で歌うとリズム感が無くのっぺりした歌い方に感じた。他の実力派歌手に対しても同じような印象である。
最近はテレビの歌番組が減って、オリジナル曲ではなく、カバー曲をじっくり聞かせるような歌謡番組は少ないのだが、もっと歌唱力を強調するような番組作りが増えてほしいと思っている。

2020年7月22日水曜日

政界再編は自治体連合で

秋に解散総選挙が行われるのではないか、と囁かれている。コロナ問題は収まりそうにないうえにオリンピックを中止するかどうかの判断も必要になる、米国の大統領選挙もある、という大きな問題が起こる前に選挙をしようと与党側が考えても不思議はないと思う。
最近のCOVID-19に対する一貫性のない思い付き対応で国民は政府に対する評価を下げている。本来なら野党にとってチャンスのはずだが、野党側が盛り上がる気配は全くない。それは野党がCOVID-19に対する対応案を示すことなく、「桜を見る会」に対する批判とか、政府の対応に対する批判ばかりで、「自分たちならどうするか」という見識の発表が全くないからである。立憲民主党と国民民主党の統合が言われているが、たとえ統合したとしても、選挙を行なえば2党合わせて現在の立憲民主党程度の議席数になるのではないかと想像している。政策を示さず「国会議員になりたい」だけが行動原理の政党が盛り上がるはずはないと思う。民主党が分裂したときに、野田佳彦、岡田克也、前原誠司といった民主党代表経験者の大物がどちらにも属さず無所属になっている。これらの人を吸収できるような政党でないと日本全体の中で存在感を示すことはできないと思っている。
その上で私が期待している政界再編がある。それは「自治体連合」が新しい政党を作り大阪の吉村知事辺りをトップに据えて「地方自治強化」を論点に国政レベルで争うという点である。COVID-19対応では自治体のほうが政府よりも真剣に取り組んでいることは国民の眼にも明らかである。「維新の会」がバックに付くことが想定されるが、維新の下に全国の自治体が集まるというより、自治体連合の政党ができて維新がその中に吸収されるという形のほうが印象としては良いと思う。これなら、民主党の代表経験者も合流できるのではないかと思う。
維新の会の政策は基本的には自民党と同じで反発もあるだろうが、「地方に財源を移す」という提言は大きな国政レベルの争点になりえると思う。政府のGo Toキャンペーンが失敗することは目に見えているので、秋の選挙があるとすればそろそろアドバルーンを上げても良い時期だと思う。

2020年7月19日日曜日

COVID-19本格的蔓延に備えよ

COVID-19の感染者は着実に増加している。私は7月7日のブログで書いたように16,17日あたりで東京の1日当たりの新規感染者は400人に達すると思っていたが、300人弱なので思ったより少なかったという印象である。これはホストクラブの検査などの増加ペースが鈍っており、一般感染だけが伸びたからだろうと想像している。小池知事が言うように、現在の東京の290人は、4月中旬の150人くらいに相当する状況だろう。
しかし4月には宣告に非常事態宣言が出ていたのに対し、現在はGo Toキャンペーンを打つような状況である。今週後半には東京で500人に達するだろうと思っている。神奈川、埼玉、大阪などでも増えており、全国では7月末辺りには1日1000人を超えるだろうと思っている。最近テレビであまり言われないが、手を打ったとしても効果が出るのは2週間後で、それまでは、現在の状況(感染者数が増え続けるという状況)が続く。最近の政府のGo Toキャンペーン対応などを見ているとそのことを理解していないのではないかと思えてくる。
感染拡大に対する備えは殆どできていない。個々の店舗などではある程度ノウハウが蓄積されているが、国全体ではほとんど動いていない状況である。前にも書いたが、政治家が医療の素人であることは仕方がない。問題は厚労省が感染拡大を防ぐための手を殆ど打っていない点にある。8月に入ると患者数が増加してPCR検査を受けたくても受けられない人が出てくる、という状況になり、更に病院のベッド数も逼迫してくる。自宅待機が増えて家庭内感染が増加する、という状況になるだろう。政府は4月に全国の学校を休校にして、全国民に行動自粛依頼を出した。これは大きな経済的マイナスを生み、生活困窮者が急増するという副作用を生んだ。代わりに3か月の感染拡大抑制という時間を稼いだのだが、この期間に厚労省が対応策を打たなかったために、これ以上経済を止められない、というマイナス面だけが残ったという状況になっている。
全般的にアジア各国はCOVID-19対応に成功している中で日本はインドに続いて本格拡大する国になるのではないかと思っている。政治家にも官僚にも期待できないとなると、民間で自衛するしかない。そのためには政府に対してもっと細かい情報開示を行うように圧力をかけることが重要だと思っている。個人レベルで「どこが危ないか」を判断できるだけの情報があればある程度対応できるだろう。しかし、私は日本が遠からずイタリアのような状況になるのではないか、と思っている。

2020年7月17日金曜日

日本の国際競争力の下げが止まらない

良い国とは何だろうか? 治安、文化、軍事力、経済など様々な指標があるが、私は経済が最も重要だと考えている。それも、絶対的な経済の豊かさよりも、「年々良くなってきているか?」という時間的な変化が重要だと思っている。「将来、国の経済が良くなるか?」を示す重要な指標が国際競争力ランキングだと思っている。
スイスのビジネススクールIMDが毎年発表している国際競争力ランキングで日本は2020年、34位になったと発表された。日本の国際競争力は年々下がってきており、今年もまた下がった。コロナ問題で世界的に産業のデジタル化が進行しており、それに出遅れた日本の競争力低下が加速したと私は認識している。
図1 IMD「世界競争力年鑑」日本の総合順位の推移
三菱総研まとめ
上の図は日本のランキングの推移であるが、日本の凋落は顕著である。
2020年は1位シンガポール、2位デンマーク、3位スイスである。これは規模ではなく効率を評価しているからだと考えられる。ちなみにGDPの大きな国では米国10位、中国20位、ドイツ17位、英国19位、インド43位である。インド以外は日本より上である。最近の傾向では米国の凋落が大きい。2017年1位、2018年2位、2019年3位、2020年10位である。

【国際】IMD世界競争力ランキング2020、首位シンガポール。日本は34位で凋落止まらず 2

上の図が2020年の日本の分野別順位であるが、政府の効率とビジネス効率が特に低いことが分かる。技術面で言うと、科学インフラは比較的強いが技術インフラは弱く、教育も弱い。科学は過去の強みがまだ残っているが、これから下がってくるだろうと思う。IMDの分析がどれほど実際と整合しているかは不明だが、私自身の直感ではそれほど外れていない感じがしている。
インドのように現在貧しい国は国際競争力が低くても国民の生活が現在より「まし」になることは期待できるが、日本のように現在豊かな国では、将来は現在より生活レベルが下がることは確実だろう。現状、これを挽回すべく動いている政府の取り組みは感じられない。個人レベルでできることは身近な若者を国内に閉じずに世界で活動させることしか無いように感じている。

2020年7月14日火曜日

Googleのインドへの1兆円投資に注目

GoogleのCEO、Sundar Pichai氏がインドのモディ首相と電話会談して、今後5-7年間でインドに約1兆円の投資をして、インドのインターネット環境の向上に貢献すると語ったことが大きく報じられている。これがどれほど成功するかは未知数であるが、成功すれば世界経済に大きな影響を与えるだろうと私は考えている。
その理由はインドのポテンシャル、特にソフトウェア系のポテンシャルに私は極めて高いものを感じているからである。現在世界を牽引している大企業GAFA+Mのうち、GoogleとMicrosoftのCEOはインド生まれ、インド育ちでアメリカの大学で学位を取ってGoogleやMicrosoftに就職した人物である。以下二人の経歴を簡単に紹介する。
Sundar Pichai(スンダ―・ピチャイ)は1972年にインドのチェンナイで生まれ、インド工科大学卒業後、奨学金でスタンフォード大学に入学している。中途退学してApplied Materialに入社し、ウォートン校でMBA取得の後、マッキンゼーに入社して、2004年にGoogleに入社している。Googleでブラウザの Google Chrome、次いでChrome OSの開発を成功させ、2015年に持ち株会社Alphabetの設立に伴い、創業者のLarry PageからGoogle CEOを引き継いでいる。2019年にはLarry PageからAlphabetのCEOも引き継いで、現在は名実ともにGoogleのCEOとなっている。インドの内情、インド人気質を良く知っているSundar Pichaiがインドへの巨額投資を決定したことで、成功の可能性は高いと思っている。
MicrosoftのCEO、
Satya Nadellaは1967年インドのハイデラバードで生まれ、インドのマンガロール大学卒業後、ウィスコンシン大学に入学後、サン・マイクロシステムズを経て1992年にMicrosoftに入社、2014年、MicrosoftのCEOに就任している。
全産業を通じて世界を代表する企業であるGoogleとMicrosoftでインド生まれ、インド育ちの二人がトップに立つ、それもSatya Nadellaは入社22年、Sundar Pichaiは入社11年でCEOに着任するということにはアメリカ企業の懐の深さを感じている。トランプ大統領はこのような状況を阻止しようとしており、彼が11月の大統領選挙で勝つようならアメリカの国力は大幅に下がるだろうと思っている。
それはさておき、ここで注目したいのはインド人二人の能力の高さである。いわゆる学力で言えばSundar Pichaiのほうがかなり上のようだが、Satya Nadellaは落ち目だったMicrosoftを立て直したという大きな業績を上げている。インド育ちでありながらアメリカ社会に溶け込んで周囲からも信頼される人物になっている。CEOになるというのは並みの信用とは次元の違う信頼を得ているのだと私は思っている。
インドの人口が13億人を超えていること、インドはソフトウェアに強いバックグラウンドを持つこと、産業全体の中でソフトウェアの付加価値が今後一層高まっていくことを考えると、インドが日本よりもはるかに重要な国として注目を集める日はいずれ来ると考えられる。
今回のGoogleの動きはそのための極めて有効な布石になる気がしている。

2020年7月10日金曜日

東大の大学改革に共感

学士会会報に東大の現総長の五神真氏が東大改革の経緯を寄稿していて、大学の中で少なくとも東大は好ましい方向に動いていると感じた。
政府は近年大学への予算を削減し、大学自ら稼ぐことを求めている。国立大学を法人化したり、個別の教授に研究費用を出す科研費を削減し、5年間で20億円と言った大型プロジェクトの予算を増やしている。東大は国立大学の中で最も恵まれた立場にいるが、それでも大学側から見ると安定的資金が不足するために、雇用の維持が難しくなり、若手研究者が時限雇用になって生活の安定が脅かされている。殆どの有名大学教授はこの政府の動きを批判していると私は認識している。
東大は「大学が経営体になる」というビジョンを掲げ、この政府の動きに真正面から取り組んでいるという印象である。そのために数多くに手を打っているが、いくつかを紹介すると
・予算配分を大学の予算審議会で決定する
 従来は個別の教授に政府から直接行っていた予算配分を予算審議会で決定して配分理由を透明化する
・ベンチャー育成を事業にする
 東大自らがベンチャーキャピタルになり、東大初のベンチャー企業を育成、ライセンス料や配当などで稼ぐ
・企業との連携を大規模化
 従来は個々の教授が数百万円規模の受託研究を受けていたのを大企業と億円単位の複数年共同研究にする。
・大学祭の発行
・ソフトバンクとのJVであるBeyond AI研究所設立
などである。他にも多くの項目が列挙されているが私の印象に残ったのは上記のような施策である。これらを通じて最も重要だと思ったのは「大学が経営体になる」というコンセプトを学内で根付かせたことである。当初は抵抗が大きかったが今では違和感なく受け入れられているという。東大は稼げる大学に変身しつつあると感じた。
大学の役割には基礎研究や人材育成といった成果が見えにくい分野が大きなウェイトを占めており「経営」という言葉に抵抗を感じる教授は少なくなかったと思う。東大でも、考古学や、ニュートリノの観測など、何の役に立つか説明の困難な分野の教授がいる。それらの人を説得して、大学全体を動かすには大変なエネルギーが必要だったろうと思う。それを急がず、少しずつ動かして5年間で学内の認識が変わるところまで持ち込んだ五神総長の功績は非常に大きいと思う。次の総長も同じ方向で動けば東大の方向性は揺らぎ無いものになり、他の大学を引っ張っていくだろうと思う。
私にとって一つだけ残念な点がある。それはソフトウェア開発について触れられていない点である。私は21世紀に入ってからの日本の世界における存在感の低下は「日本のソフトウェア開発力が低い」という点が大きなウェイトを占めていると思っている。これは、目の前の問題を解かせることに角に注力している教育のあり方やどういう人を出世させるかという社会構造のあり方が大きく影響を与えていると思っている。五神氏はこの問題に気付いていないのか、気付いていても有効な手を打てないのかは分からないが、いずれにしてもソフトウェアについての言及がないのは残念なことである。

2020年7月7日火曜日

次のCOVID-19対策はどうなるか?

世の中は自粛解除で、マスコミも「感染が増えている」と報じながら同時に「経済活動が再開している」と自粛解除を歓迎する報道を続けている。しかし、新規感染者数は日を追うごとに増えている。私は東京都で今週中に1日200人、来週には1日400人とこれまでで最高レベルに達すると思っている。政府は来週中には何らかの対策を打ち出さざるを得なくなると思っている。これに関して、どうするべきか、私の考えを整理してみたい。
4月5日に書いたように、感染拡大対策の最悪は何もしないことで、最善は感染者全員を突き止めて隔離することである。4月に政府が打った対策は国民全員に行動制限を求めるもので、これは誰が感染者か全くわからない、という前提に立つもので、有効ではあるが、コスト(経済的ダメージ)は最も大きい、下から2番目の対策と言えるだろう。それでもアメリカやブラジルのように政府トップが「対策は必要ない」というよりはましだと思う。
現在、政府や東京都が対策を打ち出すことをためらっているのは過去の対策があまりにも高コストだったからだろう。小池知事が語っているように「全員ではなくリスクの高いところに重点的に対策を打つ」ことを考えていると思う。4月の時には小池知事が動いて政府の対応を促した印象だったが、その時にいろいろと干渉されたので、今回は政府側の動きを待っているように感じている。しかし、政府が動かない一方で東京都の新規感染者はどんどん増えるので、結局東京都が動かざるを得ない状況になると思う。
問題は厚労省の抵抗で検査能力の拡大に対してほとんど手が打たれていない点である。これは東京都の責任ではなく政府の責任なのだが、これだけ「検査能力を拡大すべき」という声が強いにもかかわらず今でも厚労省内に拡大に対する抵抗勢力がいるように感じている。
私の印象では、東京都の感染者数が1日400人になったからと言って急に検査数を増やすことはできず、マスコミは政府を批判するだろうが検査できないことはどうしようもないので再び「国民に行動自粛を求める」しか手がないだろうと思う。そこで緩いやり方だと感染は止められず制御不能になる可能性が高いと思っている。有効な方法はクラスターが発生した組織に食中毒の時と同様に組織名を公表し、2週間活動停止にすることだと思うがあたしてそれができるのかどうかは分からない。法的にできないような気がする。
個人のレベルで言うと自衛するしかない。会社がリモートワークを認めてくれればよいが通勤しなくてはいけない場合には通勤中に最大限の注意を払うべきだろう。この夏の日本に私は大きな危惧を感じている。

2020年7月6日月曜日

藤井聡太の強さは想像以上

最年少で将棋のタイトル戦に挑戦している藤井聡太七段の強さに目を見張る思いでいる。かなり前から最年少挑戦者の期待が高まっていたのだが、コロナ禍でプロの対局が全面中止となり、最年少挑戦は無理かと言われ始めた。日本将棋連盟は緊急事態宣言が解けるとさっそく藤井七段の挑戦の可能性がある棋聖戦の対局を組み、「勝てば最年少挑戦者」となれるように日程を組んだ。但し、相手はタイトル保持者の永瀬2冠、容易ではないと思われたが藤井七段は見事に勝って挑戦権を獲得した。相手は現在最強と言われる渡辺3冠である。現在挑戦手合いが進行中であるがその間に藤井七段は王位戦への挑戦も決め、現在ダブルタイトル戦を戦っている。
実はここまでは私にとっては想定の範囲内だった。勢いのある藤井七段が挑戦者になるとこはかなりの確率であると思っていた。私にとっての驚きはタイトル戦の内容である。棋聖戦の第2局で、渡辺3冠に勝って2連勝となったのだが、私はこの対局の棋譜を仕事をしながら見ていた。動画の中継では無く、指し手で記者が将棋の盤面を動かすインターネット中継である。プロのタイトル戦はNHK杯などと違って時間がたっぷりあるのでなかなか進行しない。仕事をしながら、「パチリ」と指した音がすると将棋の画面を開く、という見方である。その中で58手目の「3一銀打ち」という手が驚きだった。
私は囲碁には自信があるが将棋はそれほど強くないので「どちらが優勢か」などはほとんどわからない。しかし、インターネット中継では、別室で多くのプロが集まって検討している状況を記者が教えてくれるので大体の状況が掴める。この「3一銀打ち」が指された時、この手を検討していたプロは誰もおらず、その手が指された時には「そんなところに行ったの」という反応だったようである。しかし、しばらくして局面が進んでみると「あの手は素晴らしい手だったようだ」という評価に代わっていった。翌日にはアマチュアの強豪がAIにかけたところ、5億手まで読む設定では「3一銀打ち」を発見できず別の手を最善手としていたのだが、6億手まで読みを深めると「3一銀打ち」を最善手として発見したそうである。
このことは、藤井聡太が既にプロ将棋界の第一任者になっていることを表しているように思われる。過去の羽生善治永世名人などでも初めて挑戦したときには、トップ棋士に並んで勝ったり負けたりする状態だったのが、2年くらいの内に抜け出してめったに負けないという状態になっていったのだが、藤井聡太は昨年既にトップと並ぶ実力があり、今は既にトッププロの中でも頭一つ抜け出した実力を持っているように感じられる。
囲碁の世界では20歳の芝野名人が昨年の秋に初めて挑戦手合いに登場してから3つのタイトル戦に立て続けに勝利して、3冠になっている。しかし、棋譜を見る限り、芝野名人が頭一つ抜け出している感じはせず、勝負強さで勝っている感じがしている。藤井聡太の強さはそれを上回る大変なものだという感じがしている。

2020年6月14日日曜日

Zoom法要

私の母は昨年の6月に他界しており、今年は一周忌の法事を計画していた。しかし、我が家の菩提寺は京都にあり、コロナ禍の現状で京都まで行くのは無理だと思って「中止しようと思う」という連絡を寺に入れたところ、「Zoom法要できますよ」という連絡をいただいた。丁度、住職が代替わりして若い人に代わっていたので、このような試みに取り組んでくれた。
そんな経緯で昨日、Zoom法要を行った。私と弟は首都圏に住んでおり、私の息子も今は自立して川越に住んでいるのだが、それぞれ自宅から入った。Zoomなので入れるかもしれないと考え、札幌在住の親戚にも声をかけたところ、参加してくれた。
まず本堂で住職がお経をあげてくれるのを各自自宅で唱和する。その後、住職が墓の前まで行って墓の状態を映して、そこでまたお経をあげてくれた。
法要の後は親戚一同のZoom飲み会を行った。昼間だったので飲み会と言うより昼食会という感じだったが、長く顔を合わせていない人もいて、近況を色々聞けて良かった。
京都まで行くことを考えるとずいぶん楽でありながら、法事を行った気分になった。特に北海道の親戚などは、現地での法事ならば声をかけることもしなかったと思うのだが、Zoomなので気軽に声をかけることができた。このような機会が無ければおそらく「Zoom飲み会」の声をかけることはしなかったと思うのだが、法事を機会に親戚と会話することができた。先進的な住職に感謝したい。
東京の今日の感染者数は47人、相当に長い期間(数か月)は京都にはいかないほうが良いだろうと考えている。

2020年5月23日土曜日

黒川氏問題だけではない、公務員の定年延長は疑問

政府は黒川検事長の定年延長を目指して、ごり押ししようとしていた「国家公務員法改正案」を取り下げた。主な理由は、政府は否定しているが、黒川検事長が賭けマージャンをしていたことが暴露されて、黒川氏を検事総長に押す芽が無くなったことだろう。
昨日、安倍総理は「公務員の定年延長自体を見直す」と発言したと報じられており、これがまた大きな問題となっている。野党は、政府が3月に黒川氏の定年を「政府の法解釈」を変えて伸ばしたことを問題視しており、その法解釈を正当化しようとする定年延長法案にも反対していたのだが、公務員全体の定年延長には賛成だった。野党は公務員組合が票田となっているので当然だろう。
一方、安倍総理は国会で「優秀な公務員が職に留まれるようにすることは大切」と答弁していたにも拘らず、黒川氏が辞任すると「法案自体を見直す」と言い始めた。これが安倍総理の本音だと考えられ、政府がこの法案を推進しようとしたのは黒川氏を検事総長にすることが目的だったことを暴露したようなものである。
ところで、私は「公務員の定年延長」自体に疑問を持っており、この点では野党よりも安倍総理の本音に近い考えである。この法案は政府が年金支給を段階的に65歳まで遅らせることをすでに決定しており、公務員がそれより早く定年を迎えると無収入の期間が生じることを防ぐためのもので、何らかの対策が必要なことは私も認めている。しかし、実施には大きな検討課題がある。
民間では60歳を過ぎると定年に達した職員に対する給与は大幅に減少する。もちろん一部の極めて優秀な人は別だが、一般社員は半額程度になる。企業によっては3割程度まで減少するところもある。つまり企業によって扱いは大きく異なるうえに、個人に対しての扱いも個人に対する評価で大きく異なる。公務員は民間よりもはるかに年功序列の性格が強く、人事評価の仕組みを見直さない限り、人件費の増加が避けられない上に、官僚の政策の硬直化がますます進んでしまうだろう。
この問題は、定年延長と同時に考えることが不可欠、と指摘されているのだが、具体的にどうするかは簡単に答えが出るとは思えず、数年の検討期間が必要だろう。私は公務員の人事評価の新しい枠組みが出来上がるまでは、定年延長はせず、公務員に対しては早めに年金支給を開始し、早く年金支給を開始する人に対しては年金額を減少させる(70歳まで年金を受け取らなければ月額が増えるのと同じような仕組み)が良いと思っている。
公務員、特に上級公務員に対しては政治家に一部の人事権があるので、人事に対する評価の裁量の幅を広げることは政治家の官僚に対する介入を強めるリスクもあり、公務員の人事評価は極めて難しい問題だと思っている。

2020年4月29日水曜日

対コロナ経済対策の欧米の違い

英国エコノミスト誌にコロナによる経済問題に対する対応の仕方のアメリカとヨーロッパの違いを分析する記事が出ており、「なるほど」と感じたので紹介しておきたい。
コロナはパンデミックを引き起こし世界中で外出禁止令が出て経済は縮小している。これに対してヨーロッパでは基本的に休業補償という形で、休業によって収入が無くなった人に収入を補てんする方式が取られている。70%程度の補償が多いようである。
アメリカでは経営が悪化するとすぐに解雇につながる。失業保険申請者が一週間で500万人に及び、合計では2500万人を超えている。アメリカではこの対策として失業者に対する給付金を増額することを基本としている。これだけでは対応不十分なので雇用維持奨励金のようなものも加えているが、ヨーロッパが雇用維持を原則とした対応策を基本としているのに対してアメリカは解雇はかなりの程度受け入れて、失業者の生活を補償するという対策が中心となっている。
一見、ヨーロッパのほうが安定していて良さそうに見えるし、私もそう思っていた。しかし、エコノミスト誌はアメリカ方式にも良い点があるとしている。それは雇用の流動性を維持しているという点である。今回のコロナ災害が一過性のもので終われば元に戻るものならばヨーロッパ方式のほうが良いだろう。しかし、元には戻らず、復活したときには産業構造が変わってしまうようなものならば、アメリカ方式のほうが柔軟性に富んでいると言える。
実際、アメリカでは大量の解雇が起こる一方でAmazonは10万人単位で雇用を増やしている。これができるのはアメリカシステムの強みだという。多分、今回のパンデミックが治まっても、ネット通販の増加したシェアは下がらないように思う。アメリカはそれに柔軟に対応できるのに対し、ヨーロッパでは雇用は維持されるので産業構造の転換は起こりにくい。
日本はどうだろうか? 社会はヨーロッパ型を好んでいることは明らかなように思う。その一方で打ち手は一律10万円などのアメリカ型になっている。要するに思想が無く、準備もできていないので「すぐできる」打ち手を手探りで探しているように思う。メディアは困っている人の事例を挙げて大騒ぎし、政府は紹介された困っている人の対策にまず動く、というのが典型的な日本的対応である。しかし政府の対策はもっとマクロな視点から見た姿勢をまず考え、具体策を現実に合わせて実行していくことが重要だと思うのだが、マクロな視点が全く欠落しているように感じている。

2020年4月26日日曜日

うっすら見え始めたコロナ後の世界

4月2日に私は「COVID-19後の世界は、回復したとしても元には戻らない」と書いた。その視点で私が言えたのは「IT技術の活用は広がる」「日本のITの利用遅れはさらに広がる」程度のことだったが、3週間経過してもう少し具体的なイメージが見え始めた感じがしている。
・ITの利用が大幅に進む
これは誰でもが考えることで、特に私の見方に特別な点は無い。しかし、その影響の社会全体に対する広がりはまだあまり指摘されていないように思う。
・原油需要の減少は長期間続く
最近、原油価格が急落している。その理由は最初はロシアとサウジアラビアの減産交渉の決裂だったのだ。その後、ロシアとサウジアラビアは再交渉で減産の目途を付けたが最近では世界全体の需要減少が大きく、原油価格は一時マイナスにまで陥った。私はコロナ治療薬が開発されたとしても、原油需要は元には戻らないだろうと思っている。観光需要は2年くらいかけて元に戻ると思うが、業務需要、所謂「出張」は半分くらいしか戻らないと感じている。その理由は多くの経営者が実際に人を派遣しなくても仕事をすることができることを知るからである。原油消費の減少は地球温暖化防止にも役に立つ。ので人の移動の減少は歓迎されるだろう。結果として航空会社の経営などは悪化したままであろう。
・世界は大幅なインフレになる
今回のCOVID-19収束後に私はかなり激しいインフレが来るだろうと感じている。その理由は各国政府が経済対策として膨大な費用を投じざるを得ないからである。その原資は無いので、国債発行を増やすしかない。しかし、国の借金が増えすぎると政府に対する信頼性が落ちる。自然な流れとして、資金投入を増額して、日本ならば日銀が1万円札を大量に発行して、資金流通量を増やす。これまでも「金余り」は指摘されていたが、銀行に資金が入るだけでは不十分で直接国民に資金を配布する方法を検討する結果、全体として資金あまりの状態になり、貨幣価値が下がる、つまりインフレになる。
世界最大の経済大国である米国のトランプ大統領がこの方式を好むと思われるので、世界全体がインフレになる可能性は高いと思う。インプレのペースをFRBがうまく制御できるかどうかは不明で、問題を起こす可能性も高いが、インフレになることは確実なように思われる。
・日本の世界における地位は下がる
これらの根本的な原因はITの活用である。日本国内でもIT利用が活性化することは確実だと思われるが、世界の中でのペースは遅い。平成の30年間、日本は長期低落傾向にあったとされているが、令和に入ってこの傾向は加速すると思われる。もちろん私も日本人なのでそうならないことを望むが、客観的に見れば日本の長期低落傾向は加速するとしか思えない。

2020年4月20日月曜日

「世界のニュース」のススメ

現在、テレビで報じられるニュースの中ではCOVID-19関連のニュースが群を抜いて多いが、私はテレビでニュースを見る際にNHKーBSの「世界のニュース」をお勧めしたい。世界のメディアでは様々な視点があり、世界ではどのような取り組みがあるかを知ることができるからである。
NHKーBSの世界のニュースには朝7時から8時の「ワールドニュース」と8時から9時と11時から12時のの「キャッチ!世界のトップニュース」とがあるが、私は「ワールドニュース」のほうをお勧めしたい。
「ワールドニュース」は米国、ドイツ、フランス、ロシア、中国、韓国(選択される国は日によって異なる)などの各国のトップメディアのトップニュースを5-10分程度ずつ、翻訳付きで流すものである。
これに対して、「キャッチ!世界のトップニュース」のほうはNHKが編集して解説を加えた番組である。「ワールドニュース」が世界のニュースの翻訳であるのに対して、「キャッチ!世界のニュース」は世界のニュース番組をNHKが編集したNHKの番組であると言える。当然、NHKの価値観が色濃く含まれている。「ワールドニュース」も日によって選択される国が異なるのでNHKのフィルタリングはかかっていると思うが、選択された国のニュースをNHKが切り貼りしてつないでいる感じはしないので、NHKのフィルタリングは限定的だと思う。
NHKの考えは地上波のNHKのニュースにも含まれており、「キャッチ!世界のニュース」には視点として新しいものは少ないが、直接海外の番組を見るに近い「ワールドニュース」には日本では感じられない視点が含まれていると感じる。私はNHKの情報フィルタリングには不適切な部分が多いと感じている。
今日の番組を見て感じたのは、COVID-19を克服したと感じられる中国と韓国の規制緩和に対する慎重な姿勢である。彼らの行動を見ていると、仮に感染者が減ってきたとしても、日本の緊急事態宣言程度の規制は今後、長期間続ける必要があると感じる。一方、欧米では経済活動の再開圧力が強い。特に米国ではトランプ氏の再開姿勢が強い。これは一月もすると結果が見えてくると思うので5月末程度まで規制を続けていれば日本の進むべき方向性が見えてくるだろう。
もう一つ感じたのは、世界各国では政府レベルの遠隔教育に対する取り組みがかなり多いという点である。当然のことながらデバイスを持たないので教育を受けられない子供たちがいるのでそれに対する対策も報じられている。このような動きと比較して日本の文科省の動きは悪いと、改めて感じている。

2020年4月18日土曜日

コロナ禍を有効に使うためにできること

緊急事態宣言が宣告に広がり、連休明けに解除される見通しもほぼ無いと皆は考えているだろう。最低でもこの状態が3ヵ月は続くだろう。世間では「団結して乗り切ろう」というようなトーン一色だが、悪いことばかりではないと思う。
まず、「収入が減った人に30万円」が「全員に10万円」になった。これに「ラッキー」と思っている人は少なくないだろう。私もその一人である。全員の収入が減っているわけではなく、仕事量が減ったが、収入は変わらないという人はかなりいるはずである。こういう人は一切声を上げず「怖い」などと言っている。
この状態が3ヵ月から半年続くとなると、このような余裕の増えた人達が空いた時間をどう使うかが、この問題が治まった時の競争力に大きく影響すると思う。レストランなどでも、「困った」「閉めるか空けるか」ばかりを悩んでいる人と、「宅配ができないか」「持ち帰りを増やそう」と考え、実行する人とでは、外出抑制時だけでなく、正常に復帰した後でも大きな差がつくだろう。これは工夫した人が成功する、という正常な動きである。
ホワイトカラーにとってはこの機会に勉強することが極めて重要だと思う。特に、会社がサポートしているシステムを利用するだけでなく、世の中にある無料の通信サービスを使ってどんな仕事ができるかを工夫し、マスターした人と、子供と遊んで暮らした人とでは大きな差がつくだろう。
もう一つ、国民全員にとって重要なのは政治家の力量が見えるということである。前代未聞の事態が起こっているので、どうすればよいかは分からない。首相、大臣、地方の首長などの力量がはっきり見えてくるので、次の選挙に生かすべきだと思う。通常では政治家は官僚から上がってきた提言を処理すればよいのだが、官僚自身がどうすればよいか分からない、あるいは前例に縛られて適切な動きができないので、官僚に任せきれない状態になっている。本人の判断力が国民に見えてくると思う。企業でもおそらく同様のことが起こっているのではないかと思っている。部下が上司の力量を判断するチャンスだと思う。

2020年4月8日水曜日

プランBの無い日本政府

安倍総理の緊急事態宣言の記者会見を見た。緊急事態宣言自体は良いもので必要なものだと思う。具体的にどの業種に休業を求めるかについては東京都と日本政府の間でまだ調整がついておらず、今週いっぱいの調整となるようであるが、具体的な行動指針が出るので、意味は大きいと思うし、もっと早く出すべきだったと私は感じている。
質疑で気になったのは「欧米に比べて罰則のない弱い制約だが、うまく行かないときにはさらに強化するような考えはあるか?」という質問に対して「国民が要請を守ってもらえば感染はピークアウトする」という回答で、答えていない。要するにうまく行かないことは想定していないということだと理解した。これは日本のリーダに共通の特徴だと思っている。これでは状況が刻々と変化する戦争は戦えない。
私はうまく行くかどうかは、五分五分よりもややうまく行かない可能性のほうが高いくらいだ、と思っている。その理由は今後1週間くらいの間で感染者数はかなり増えるはずであり、これまで行ってきた怪しい人を狙い撃ちで調査する「クラスター追跡」が実質的に不可能になる可能性が高いと思うからである。
安倍総理の今回の具体的方針で一番問題だと思うのは「PCR検査の能力を1万から2万に増やす」という発言である。仮に欧米のように感染爆発が起こったとすると1日に数千人の感染者が見つかる。これを把握するには1日10万人の検査能力は不可欠である。おそらく10万は実現の見通しが立たないという報告を受けているのだと想像するが、中国、韓国、ドイツ、米国ではこのレベルができているので、総理が指示を出せば、時間はかかってもいずれ実現するだろう。総理の指示がないと2万しか用意しないので、「クラスター追跡は無理」と分かった時点で動き出すことになるだろう。検査能力の向上はさらに遅れることになる。
質問側で気になったのはNHKの「緊急事態宣言は遅すぎたという声があるが・・・」という質問である。これは宣言が出る前に「早く出せ」とあおる意味で言う意味はあるが、宣言の質疑で出すべきではない。出したことに対する進め方、あるいは問題を指摘して、どうやればうまく行くかを検討するのが現時点で必要なことであり、反省は1年後に事態が収まってからゆっくり検討するべきことである。NHKはこれまで「早く出せ」とあおってもいなかったのに、質疑の場でこのような質問をする評論家意識が気に入らなかった。

これでうまく行ってくれることを祈るが、一週間後には東京都で500人、日本全体で2000人が1日に感染発覚して、クラスター追跡は不可能という事態に備えることは政府としては不可欠だと思う。

2020年4月5日日曜日

COVID-19対策の全体像を描くべき

COVID-19で日本が欧米のような悲惨な状況に陥ることは確実なように思われる。これまでの日本政府のような場当たり的な対応を続けていると欧米よりさらにひどいことになると私は感じている。これまでの安倍総理の対応は、中国人入国禁止、全国休校、マスク2枚、30万円であるがいずれも国民の人気を取るための政治パフォーマンスという印象を持っている。現在の状況は欧米のような状態にまで日本が感染拡大したときの対応策を検討しておくことで、それができていればフランス程度でフランス程度で収まるかもしれないが、対応が遅れるとスペインのようなことになると思っている。
以下、私の考える政府の対応策を書く。私の考える対応策は、まず全体像を描くことである。対応策の全体像は大きく3点からなる。
1)感染拡大の抑制
最も重要なのは感染拡大の抑制である。そのためには、感染者を特定して、隔離することである。感染者を特定できない場合は国民全員を可能な限り隔離する、これが外出禁止である。これが長く続くとあらゆる産業に影響が出るので、一刻も早く観戦者の特定の仕組みを作るべきである。そのためには検査体制を韓国並みに充実させて少しでも危ないと思えばすぐに検査ができる体制を作ることである。私は2月初めから日本の対応が良くないと書いてきたが、いまだに改善されていない。2か月前に動いていれば、外出禁止までは必要なかったかもしれないが、今では外出禁止令は不可欠で、外出禁止令を出しても韓国並みの体制を取らない限り、ほぼ永遠にそれを解くことはできないということを認識するべきである。
現在の日本の法律では、緊急事態宣言をしても外出禁止はできない、ということなので法令で罰則付きの外出禁止をできるようにするべきだろう。政府の要請だと90%、罰則付きなら99%の国民が従うだろう(経済的補償を発表した場合)。
2)感染者の扱い(治療)
メディアの報道を見ると、病院へ行けば対応できると思っているようだが、この病気には治療法は見つかっておらず、基本的に治癒には本人の体力に頼るしかない。病院ができることは体力が落ちないようにすることだと認識するべきである。軽症の人は隔離、重症の人は呼吸補助のような対応を考えるべきである。特に隔離場所は重要で家庭での待機は必ず家族に感染させるので、ホテルを借り上げるなどして隔離場所を確保することが不可欠である。医療関係者に感染させることは絶対に避けるべきなので、特別の注意を図るべきである。現在話題になっているのは「COVID-19指定感染症なので感染者は入院させないといけない」というルールがあることだがこのルールはCOVID-19に合わせて作られたものではないので、今回の特例としての対応方法を法制化するべきである。
具体的な感染者への対応が一番きちんとできているのは中国だと思う。中国の手法を参考にするべきだろう。
1)、2)は主に政府(厚労省)が対応するべきことだが、厚労省が全く機能していない、と私は感じている。官僚が過去の例や縦割りに縛られて動かないときに強制的に動かすのが政治家の役割だが、それも機能していないと思っている。
3)経済対策
経済対策では、欧州は休業補償、米国は国民への金銭配布、が対応策となっており、日本は米国型を採用しようとしている。欧州型のほうが合理的だと思うのだが、現行法の関係で欧州型は取れないのかもしれない。しかし、「外出禁止要請」では感染拡大は収まらず「外出禁止命令」にまで行かないと収まらないと思われるので、欧州型の準備を進めるべきである。これに関しては政府の意欲はあるので、それほど心配していない。

以上の3点は互いに関連しているが、順番に実施するというよりも並行して検討し、決まったことから順次実施していくべきである。そのためには3つの検討チームを作って並行して動かして、お互いに連携していくような体制が必要なのだが、現状ではそんな印象はない。総理側近にこれくらいのことを考える人は居ないのかと、暗澹たる思いである。

2020年4月2日木曜日

コロナ後を考える

COVID-19のパンデミックで世界中の人の移動が制限されている。私は日本も緊急事態宣言を出すべき時期に来ていると思っている。来週になると手遅れになるだろうと感じる。
現在のような移動制限はおそらく秋まで続くと思われる。秋になって徐々に人の移動が再開したときに、その時の社会の風景はこれまでに戻るのではなく異なった風景になるはずである。企業などはそのことを想定して動くべきだと思う。
誰でも思うのはインターネットの利用が大きく増加するだろう、ということである。外に出歩けないのでネットしか使えない状態が何か月も続くと、これまでインターネットを使わなかった人も、使わざるを得ず、「使ってみると結構便利」と言う人が続出して、社会の動きが変わるくらいの変化になると思う。日本のインターネット利用は遅れていると言われているが、コロナ後に日本の競争力がどうなるかを考えてみたい。
①日本は追いつくという見方
今、日本はインターネットの利用が進んでいない、それが使う人が増えて、先進国に追いついてくるので、日本の競争力が上がるだろう、という見方が一つできる。
②日本はさらに遅れる
日本でインターネットの利用が増えることは間違いないと思うが、他国の利用はさらに進み、むしろ差が開く、という見方もできる。

私は、残念ながらおそらく②になるだろうと思っている。それはこの期間に起こった新しい動きが、コロナが治まると日本では元に戻ってしまうだろうと思うからである。それは規制の問題である。例えば、医療行為は対面で行わないといけないことになっているが、こういう時期だからネットで医療相談を受けることができるようにしよう、というのは日本でも言われているし、おそらくほとんどの国で行われることになるだろう。
日本の場合には法律改正には至らず、パンデミックが治まると元に戻ってしまうのだが、多くの国ではそのまま新規ビジネスとして定着する、というのがありそうなことに私は感じている。日本以外の国ではビジネスモデル自体が変わってしまうのに、日本では「高齢者のネットアレルギーが減った」、程度で収まってしまいそうに思う。
これは政策による部分が大きく、企業が変えることはできなさそうなのだが、企業の立場としては今の枠組みでインターネット増加の流れにうまく乗ることと、今くいくという実績を見せることが重要だと思う。

2020年3月25日水曜日

なぜ円高にならないか?

COVID-19が世界に拡散して世界経済に打撃を与えている。これからは米国が感染の中心に、その後はアジアが中心になりそうに感じている。トランプ氏は3月に入っても危機意識が薄く、米国の感染拡大にはトランプ大統領の政治集会が大きなクラスタを作ったと私は思っている。トランプ氏の「中国ウィルス」発言はそれを隠すためだと思っている。
各国政府は経済対策を打っているが、その後の動きで私には理解できない点がある。その一つはドル高である。米国FRBは公定歩合をほぼ0%にした。本来ならばドル安になるはずであるのに、逆にドル高になっている。私は為替の交換レートを決めるのには大きく3つの要因があると思っている。
一つ目は物価水準である。物価が安いととの国の物を買う傾向が強まり、その通貨は高くなる。私はしばらく米国に入っていないが、多くの人は米国の物価は$1=¥100でもまだ米国が割高だと感じていると思う。実態の米国の物価はかなり割高である。これは他の要因が影響していると私は考えている。
二つ目は利率である。利率が高いと預金に対して利益が出るのでその国の通貨に金融投資が集まりやすい。それでその国の通貨は高くなる。ここ2年ほど$1=¥110近辺で米国の物価が安定していたのは日米の金利差が影響していたと私は考えている。
三つ目は成長期待である。今後の成長が期待できる市場に投資は集まる。これも日米の物価の差に影響していたと私は思っている。
今回、2月から3月にかけてFRBは思い切った利下げを行い、米国もほぼゼロ金利になって日本との差が無くなった。本来ならかなりの円高になるはずなのだがそうなっていない。メディアの解説によると、株式や債券の乱高下が続いているので、投資家は現金を求めており、それも使いやすい米ドルを手元に置くことを求めているのでドル需要が非常に高く、それでドル高になっているのだという。
仮にこの説明が正しいとすれば、ドル高はそれほど長続きしないだろう。長くても3月いっぱいだろうと思う。一方米国金利はそう簡単に上げないだろうから、4月に入るとドル高になり$1=¥100くらいになるのではないかと思っている。
もう一つ私に理解できないことがある。それはガソリン価格が下がらないことである。サウジとロシアの交渉が決裂して、催事が原油増産をはじめ、原油価格は大幅に下がっている。これまで国内のガソリン価格はかなり原油価格に連動していたのだが、今回はガソリン価格はあまり下がっていない。これはどういうメカニズムだろうと不思議に思っている。

2020年3月23日月曜日

外部から言われないと五輪延期を言い出せない日本

東京五輪の延期論が急に盛り上がってきた。3月11日にJOCの理事の一人が五輪延期に言及したときには安倍総理、小池都知事などが「とんでもない」という調子で否定し、それ以降、日本国内では誰も五輪延期を言い出せなかった。私がこのブログに「トランプ発言は日本のためになる」と書いたのも、日本の報道が「トランプが変なことを言った」という印象を持ったからである。
私はその時点で既に「開催は無理だ」と思っていたが、3月11日時点ではそれは少数派だったことは事実だろう。しかし、その後、ヨーロッパでは明らかなパンデミック、アメリカでも爆発的な感染が始まった状況を見て、3月20日の春分の日くらいには大部分の人が「開催は無理だ」と思っていたはずである。しかし、バッハ会長と安倍総理が「予定通り」というものだから誰も延期を言い出せなかった。
それが、様々な国から「無理だ」という意見が出て、バッハ氏が見直しに言及すると急速に延期論が高まってきた。私はここに日本社会の脆弱さを感じている。つまり内心で「おかしいな」と思っていても、トップが強く主張すると反対意見を言い出せない、という社会風土である。トップが変更を言い出すと多くの人が「私もおかしいと思っていた」という。少し大げさだが、私は日本が第2次大戦に突入したときの、世論の脆弱さがまだ日本に残っていると感じている。
特に心配なのはテレビや新聞と言った大手のメディアである。WHOが「パンデミックの中心はヨーロッパになった」と発言した3月14日あたりで、「五輪見直しが必要ではないか」というメディアが出るのが自然で、その時点では反対論もあるが、2-3日経つと延期論が次第に強まっていく、というのが自然な流れだと私は感じている。しかし、3月11日の反応を見て「五輪延期論はタブー」というような空気がメディア全体に流れたのが理由だと思っている。
私は以前から、日本のメディアは「~の狙いは何か」という表現を頻繁に利用することに疑問を呈しているが、これはまさに忖度の姿勢であり、メディアの忖度の強さが日本の論壇を脆弱にしていると感じている。

2020年3月17日火曜日

致死率から推測できるCOVID-19の各国の検査体制

COVID-19の経済への影響は極めて大きくなってきた。特に、米国で金利をほぼ0%に下げたのに株価が暴落したのはショックである。今後、どこまで広がるか、心配である。昨日、米国株が$3000も下がったのに今日の日本は下がらないとか、米国の金利が大幅に下がったのに円高にはならないとか、これまでの動きとずいぶん異なるパタンになっている。株式市場の行動原理は予測困難である。
私は以前から、日本の検査体制は不足していると言ってきた。最近は十分になったのかどうかはまだ分からないが徐々に改善はされてきていると思う。
私は、各国の検査体制は致死率で測れるのではないかと思っている。COVID-19の致死率は大体1%と言われている。ある程度患者数の多い国で致死率を見ると、米国と韓国がほぼ1%である。中国、イタリア、スペイン、イランなどはかなりこれよりも高い。これは感染者を十分に把握できておらず、重症化した人のみを患者として捉える傾向が出ているのではないかと思っている。中国は1月末から2月初めに体制ができておらず、その頃に見逃しがかなりあったのだろうと思っているが、それは今では沈静化しているとみて良いだろう。これから、一番心配なのはイタリア、スペイン、イランである。これらの国では実態としての感染者数はまだまだたくさんいるとみて良いだろう。米国は致死率から見ると患者を把握できているように見えるが、ここ一週間の患者数急増がどこで止まるかが大きな問題である。
ドイツは、致死率が1%を大きく下回っている。これは、安全のために実際にはCOVID-19ではないのだが、そう判定されている人がいるか、これから致死率が上がってくるかのどちらかだろう。ドイツは管理されていると思う。
日本は感染者800人で死者28人なので平均よりはかなり高い。これは少なくとも1週間前の保険適用が始まるまでは検査人数が少なすぎたのだと解釈している。現在、検査体制が十分なのかどうかは分からないのでまだ不安は続くだろう。

2020年3月15日日曜日

「見識」と「知識」

最近、私は「見識」という言葉が気になっている。あまり頻繁に使われる言葉ではないが重要だと思っている。「知識」のほうは頻繁に使われるが、知識とは過去の出来事を正確に認識しているということで、クイズの内容などはその典型で、内容が変化することは無い。一方見識は、自らの知識を組み合わせて全体の流れなどを把握した状態を言い、同じ知識をベースにしても人によって見識は異なる場合もあるし、見識は知識を加えることによって変化する場合もある。
会議などで何かを決めようとするときには参加者間の見識をぶつけ合っているともいえる。見識は全ての人が持っていると思うのだが、それを会議などの場で語るかどうかについては、私のこれまでの経験では日本人の見識には二つの典型的なパタンがあると思っている。
一つのパタンは見識を語ることに非常に慎重で、事実、つまり「知識」だけを確認しようとするタイプである。このパタンは技術者に非常に多い。技術者は「80%正しい」ことを「正しい」と言い切ることに抵抗感がある。むしろ「20%正しくない」ということが気になってしまう。技術には再現性があるので、「必ず起こる」ことだけが正しいというイメージがあるからである。
その一方で見識を語ることを非常に安易にする人たちもいる。テレビに出てくるコメンテータなどはこの典型で、ベースとなる知識が曖昧であっても自分の見識を語る。51%正しいと思えば「正しい」というような感じである。私は彼らが最初から見識を語るのにルーズだったのではなく、知識が乏しい分野でも司会者から意見を求められ、「何か言わないといけない」という立場に追い込まれて、それを繰り返すうちに感覚がマヒしてくるのだと思っている。
日本総研の寺島実郎氏などはいつも見識を持って語っていると私は感じている。彼の意見に賛成できない場合もあるが、見識無しに語っていると感じたことは無い。
私自身、技術者だったので「見識」を語ることには慎重だった。元々、技術者の中では見識を語るほうだと思っているが、私の大きく変えたのは国際標準化に参加してからである。話を前に進めるには自分の意見を前に出していく必要がある。私自身は国際標準化に参加してかなり鍛えられたと思っている。
更に、10年前に会社を退職して、コンサルティングを行うようになって更に見識を語るようになった。コンサルティングでは見識無しでは仕事ができない。
政治家などは見識が全てのような仕事であり、知識は不十分でも見識を語れることが最重要である。十分な知識のない「意見」を「見識」の持ち上げる技術が非常に重要で、そのためには上質の情報を入手することが大切である。
物事を議論するのは将来どうなるか、将来どうするべきかを決めるために議論するので、そのために、日本の技術者がもっと自分の見識を前に出して、他人の見識とぶつけ合うことで自分の見識を鍛え上げることが重要だと、最近のコロナウィルス対応などを見て感じている。

2020年3月13日金曜日

トランプ氏の「五輪延期発言は日本への応援」

トランプ大統領の「五輪延期発言」が話題となっている。私は昨日、「オリンピック中止したら?」と書いたが、よく考えると中止は経済的インパクトが強すぎるので、延期が妥当だと思うようになった。
私はトランプ大統領が嫌いで、殆どの彼の発言は嫌悪感を持って聞いているのだが、「五輪延期発言」は好ましいと考えている。
昨日も書いたように、今年のオリンピックを予定通り開催することは無理なことは既に見え始めている。IOCも、日本勢(東京都とJOC)も現状は「予定通り開催」と言っているが早晩、見直しが必要になるのは明らかである。その場合、どうするか、中止、延期、無観客という3通りの方法があるが、中止が経済的損失が大きすぎるとすれば、残る選択肢は延期か無観客である。
IOCとすれば無観客が好ましいだろう。テレビ放映権は主にIOCに入るからである。一方、日本勢にとっては無観客はダメージが大きい。コストはかかるのに収入が殆ど得られないからである。一方、延期はIOCにとってダメージが大きい。テレビ局と再交渉しなくてはならず、買い叩かれる可能性が高いからである。日本勢にとっては延期のほうがダメージはずっと小さい。
遠からず、IOCと日本勢が対立することは目に見えている。その場合、IOCが「決定権はIOCにある」と言って押し切ろうとすることは容易に想像される。トランプ発言はこれに楔を打ち込んだものだと解釈している。トランプ氏は無観客試合についても発言しているので、既にこのような議論が米国大統領の耳にも届いているのだろう。
大統領がサポートしているとなれば米国のテレビ局も放映料をむやみに買い叩くことはしないだろう。日本勢は、現状の「予定通り開催」は無理だろうと言う認識の上に立って、トランプ発言に慎重に反応するべきであると思う。

2020年3月12日木曜日

大相撲春場所の無観客試合を見て

WHOがCOVID-19のパンデミックを宣言し、その影響で甲子園も中止になった。次の大きな判断はオリンピックだが、私は早く中止の判断をしたほうが良いと思っている。これからはオリンピック実施に向けて毎日何億円も経費がかかることだろうが、現状の流れでは予定通りできないことは確実である。延期や無観客試合も考えられるが、私は中止が一番すっきりしていると思っている。
今日のテーマは無観客で行われている大相撲である。テレビを見ていると、観客の居ない相撲の取り組みはいつもとかなり雰囲気が違うが、相撲内容はそれほど変わらず、やはり強い人が勝っている印象である。観客の声が入って来ないので厳粛な印象があり、いつもより、行司や呼び出しといった脇役が引き立っているので、この際に脇役たちがどんな仕事をしているかを知るうえでは勉強になった気がしている。
取り組みを見ていて感じるのは「モノ言い」が少ないことである。つまり、どっちが勝ったかビデオを見ないと分からないような際どい勝負は少なく、負けるほうがあきらめてしまう傾向が強い気がする。これが若干、勝負のきわどさを少なくしている感じがする。この辺りに若干観客がいないことによって力士の気持ちに盛り上がりが欠けている点が出ている気がする。
以前にも書いた、元大関の「照ノ富士」は先場所十両で優勝して、十両の上位に上がってきた。しかし、まだ「格」の違いを見せつけて勝っている感じがする。彼の力は御嶽海や、貴景勝といった調子が良ければ優勝候補になる力士と遜色ないと思っている。今場所もここまで5連勝であるが、来場所は幕内に入ってくるだろう。強い人が本来の地位に近づくという点は、中止にしないで無観客でもやってくれてよかったと思っている。

COVID-19に話を戻すと、今週に入って国内の新たな感染者数は増えている。これは検査体制が変わって検査をする対象者が増えたからで、感染が時に広がっているわけではないと私は解釈しているが、「何人検査して何人陽性」という全体の検査人数を発表していないので、解釈は難しい。政府は日々の検査人数を感染者数と一緒に発表するべきであると思っている。母数が分かると、十分に調査しているかどうかが分かる。

2020年3月9日月曜日

COVID-19の影響

新型コロナウィルスCOVID-19の影響は世界的に広がっている。COVID-19はWHOが命名した病名だが、なぜか日本のメディアはこれを使用しない。海外ではこの言葉が使われているのにどうしてだろうと、思っている。
現在、この影響は世界全体に広がり、世界の株価が下がっている。私も大分痛い目にあっているがまだまだ収束しそうにないし、まだ広がるだろうと思っている。
以前から私はこの問題に対して二つの気がかりな点を挙げている。一つは世界が協力しようとしない点で、これはトランプ政権が始めて安倍政権が流れを決めた、と思っている。そしてこの姿勢は今でも変わっていない。他の国と協力するのではなく、自国民が他の国からウィルスを移されることを警戒している。これは良くない姿勢だと思っている。
もう一つは、日本特有の問題であるが、検査数が少ないことである。検査能力は世界的に見て日本が特に低い、ということは周知の事実になっている。これには「検査装置の不足」という能力不足の側面と、「検査装置はあるのに体制が不備である」という体制の問題とがある。後者の問題は厚労省の対応のまずさによると私は考えている。最近になって、この検査数が少ないことを擁護するような発言がテレビやラジオと言ったメディアで目に付くようになってきた。その根拠は、検査は正しいとは限らず見逃す場合もある。検査で発病が見つかりすぎると医療体制が追い付かない、などである。
検査をしないよりはしたほうが良いに決まっている。検査をしてどれだけの患者数がいるかを正確に把握したうえで、自宅待機にするのか、入院させるのかを決めればよい。それなのにNHKのラジオで、「三宅民夫の真剣勝負!」という朝の番組のコーナーで、「やたらに検査数を増やさないほうが良い」という政治学者の意見を紹介している。これは、NHKに同じような考えを持つ勢力がいるとみて間違いないだろう。これではいつまで経っても実態の把握ができない。具合が悪くても検査を受けられず、死亡してから「コロナウィルスに感染していたことが分かった」などと言う発表もまだ出ている。
日本は問題は大きく取り上げられ、活動自粛に入っているので、感染者数の増加は抑えられている。しかし、収束には他の国よりも時間がかかるだろうと思っている。
今後は世界に広がる、パンデミックの可能性が高い、と私は思っている。特に問題なのはインドとか中南米とか医療があまり整備されていない地域で爆発的に広がる可能性である。オリンピック中止もまず間違いないだろう。私自身はあまり出歩かないので感染の可能性は低いと思っている。株価がどこまで下がるか、が私にとっては最大の懸念である。