2022年8月19日金曜日

ミステリードラマから感じる日本文化

 ウィトラの活動を停止して、私は昼の時間帯にテレビドラマを見ながら株価をチェックしたり、囲碁のプロ棋士の対戦を見ることが多くなった。私は刑事ものが好きなのでいわゆるミステリー作品を好んで見ている。殆どが過去の放送の再放送である、夜の時間帯の本放送は見ていないことは多いので楽しめている。

数多くのミステリードラマを見て二つの日本文化の特徴ではないかと感じる点がある。

1)日本人は変化を好まない
よくあるパタンとして地方の自然豊かな地域の再開発にかかわる殺人事件がある。この場合、ほぼ確実に再開発推進派が欲にかられた悪人で犯人側である。善良な市民は昔からの自然を守って、変化を望まない、欲のない人たちである。料理にかかわるテーマでも、昔からの作り方を頑なに守るのが善良な人で、変化を求めて新作を開発するのは犯人側である。ドラマの中であるが、「変化を求めるのは悪い人」という刷り込みが行われているように感じる。これは江戸時代の身分制度の固定化を正当化するための徳川幕府の政策が源になっていると思っている。
変化を嫌う社会の気風が、社長が「イノベーションが大切」と言って旗を振っても社員がついてこない一つの理由になっているように思う。

2)犯罪の動機として「復讐」が多い
日本のドラマでは動機として「復讐」の比率が非常に高いと感じている。私は海外の刑事ドラマをあまり見ていないので日本だけが復讐が際立って多いと断言はできないのだが、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンの小説を読んだ印象だと復讐は少なく、大部分が個人の欲が動機になっていて頭の良い犯人がそれを巧みに隠す、というのが欧米型のように感じている。
これは江戸時代に「仇討ち」を公式に認めていた影響が残っているのではないかと感じている。今のドラマでも「復讐は良くない」と言いながらも、復讐する犯人にシンパシーを感じるような仕立てが多い。江戸時代に仇討ちが公式に認められていたのは警察権力が貧弱かつ恣意的だった点を「殺人すると仇討ちされる」という民間の力を借りた処罰の仕組みで犯罪の抑止力にしていた江戸幕府の政策ではないかと思っている。

明治維新から150年以上経っているが今でも江戸時代の社会哲学の影響が色濃く残っているのは明治以降の政府にとっても人民統治をやりやすくすることが関係していると思う。今、自民党の憲法草案で「日本社会は家族を大切にする」と個人ではなく家族を重視しているのもその名残だと思っている。