東京五輪の延期論が急に盛り上がってきた。3月11日にJOCの理事の一人が五輪延期に言及したときには安倍総理、小池都知事などが「とんでもない」という調子で否定し、それ以降、日本国内では誰も五輪延期を言い出せなかった。私がこのブログに「トランプ発言は日本のためになる」と書いたのも、日本の報道が「トランプが変なことを言った」という印象を持ったからである。
私はその時点で既に「開催は無理だ」と思っていたが、3月11日時点ではそれは少数派だったことは事実だろう。しかし、その後、ヨーロッパでは明らかなパンデミック、アメリカでも爆発的な感染が始まった状況を見て、3月20日の春分の日くらいには大部分の人が「開催は無理だ」と思っていたはずである。しかし、バッハ会長と安倍総理が「予定通り」というものだから誰も延期を言い出せなかった。
それが、様々な国から「無理だ」という意見が出て、バッハ氏が見直しに言及すると急速に延期論が高まってきた。私はここに日本社会の脆弱さを感じている。つまり内心で「おかしいな」と思っていても、トップが強く主張すると反対意見を言い出せない、という社会風土である。トップが変更を言い出すと多くの人が「私もおかしいと思っていた」という。少し大げさだが、私は日本が第2次大戦に突入したときの、世論の脆弱さがまだ日本に残っていると感じている。
特に心配なのはテレビや新聞と言った大手のメディアである。WHOが「パンデミックの中心はヨーロッパになった」と発言した3月14日あたりで、「五輪見直しが必要ではないか」というメディアが出るのが自然で、その時点では反対論もあるが、2-3日経つと延期論が次第に強まっていく、というのが自然な流れだと私は感じている。しかし、3月11日の反応を見て「五輪延期論はタブー」というような空気がメディア全体に流れたのが理由だと思っている。
私は以前から、日本のメディアは「~の狙いは何か」という表現を頻繁に利用することに疑問を呈しているが、これはまさに忖度の姿勢であり、メディアの忖度の強さが日本の論壇を脆弱にしていると感じている。
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