2020年3月25日水曜日

なぜ円高にならないか?

COVID-19が世界に拡散して世界経済に打撃を与えている。これからは米国が感染の中心に、その後はアジアが中心になりそうに感じている。トランプ氏は3月に入っても危機意識が薄く、米国の感染拡大にはトランプ大統領の政治集会が大きなクラスタを作ったと私は思っている。トランプ氏の「中国ウィルス」発言はそれを隠すためだと思っている。
各国政府は経済対策を打っているが、その後の動きで私には理解できない点がある。その一つはドル高である。米国FRBは公定歩合をほぼ0%にした。本来ならばドル安になるはずであるのに、逆にドル高になっている。私は為替の交換レートを決めるのには大きく3つの要因があると思っている。
一つ目は物価水準である。物価が安いととの国の物を買う傾向が強まり、その通貨は高くなる。私はしばらく米国に入っていないが、多くの人は米国の物価は$1=¥100でもまだ米国が割高だと感じていると思う。実態の米国の物価はかなり割高である。これは他の要因が影響していると私は考えている。
二つ目は利率である。利率が高いと預金に対して利益が出るのでその国の通貨に金融投資が集まりやすい。それでその国の通貨は高くなる。ここ2年ほど$1=¥110近辺で米国の物価が安定していたのは日米の金利差が影響していたと私は考えている。
三つ目は成長期待である。今後の成長が期待できる市場に投資は集まる。これも日米の物価の差に影響していたと私は思っている。
今回、2月から3月にかけてFRBは思い切った利下げを行い、米国もほぼゼロ金利になって日本との差が無くなった。本来ならかなりの円高になるはずなのだがそうなっていない。メディアの解説によると、株式や債券の乱高下が続いているので、投資家は現金を求めており、それも使いやすい米ドルを手元に置くことを求めているのでドル需要が非常に高く、それでドル高になっているのだという。
仮にこの説明が正しいとすれば、ドル高はそれほど長続きしないだろう。長くても3月いっぱいだろうと思う。一方米国金利はそう簡単に上げないだろうから、4月に入るとドル高になり$1=¥100くらいになるのではないかと思っている。
もう一つ私に理解できないことがある。それはガソリン価格が下がらないことである。サウジとロシアの交渉が決裂して、催事が原油増産をはじめ、原油価格は大幅に下がっている。これまで国内のガソリン価格はかなり原油価格に連動していたのだが、今回はガソリン価格はあまり下がっていない。これはどういうメカニズムだろうと不思議に思っている。

2020年3月23日月曜日

外部から言われないと五輪延期を言い出せない日本

東京五輪の延期論が急に盛り上がってきた。3月11日にJOCの理事の一人が五輪延期に言及したときには安倍総理、小池都知事などが「とんでもない」という調子で否定し、それ以降、日本国内では誰も五輪延期を言い出せなかった。私がこのブログに「トランプ発言は日本のためになる」と書いたのも、日本の報道が「トランプが変なことを言った」という印象を持ったからである。
私はその時点で既に「開催は無理だ」と思っていたが、3月11日時点ではそれは少数派だったことは事実だろう。しかし、その後、ヨーロッパでは明らかなパンデミック、アメリカでも爆発的な感染が始まった状況を見て、3月20日の春分の日くらいには大部分の人が「開催は無理だ」と思っていたはずである。しかし、バッハ会長と安倍総理が「予定通り」というものだから誰も延期を言い出せなかった。
それが、様々な国から「無理だ」という意見が出て、バッハ氏が見直しに言及すると急速に延期論が高まってきた。私はここに日本社会の脆弱さを感じている。つまり内心で「おかしいな」と思っていても、トップが強く主張すると反対意見を言い出せない、という社会風土である。トップが変更を言い出すと多くの人が「私もおかしいと思っていた」という。少し大げさだが、私は日本が第2次大戦に突入したときの、世論の脆弱さがまだ日本に残っていると感じている。
特に心配なのはテレビや新聞と言った大手のメディアである。WHOが「パンデミックの中心はヨーロッパになった」と発言した3月14日あたりで、「五輪見直しが必要ではないか」というメディアが出るのが自然で、その時点では反対論もあるが、2-3日経つと延期論が次第に強まっていく、というのが自然な流れだと私は感じている。しかし、3月11日の反応を見て「五輪延期論はタブー」というような空気がメディア全体に流れたのが理由だと思っている。
私は以前から、日本のメディアは「~の狙いは何か」という表現を頻繁に利用することに疑問を呈しているが、これはまさに忖度の姿勢であり、メディアの忖度の強さが日本の論壇を脆弱にしていると感じている。

2020年3月17日火曜日

致死率から推測できるCOVID-19の各国の検査体制

COVID-19の経済への影響は極めて大きくなってきた。特に、米国で金利をほぼ0%に下げたのに株価が暴落したのはショックである。今後、どこまで広がるか、心配である。昨日、米国株が$3000も下がったのに今日の日本は下がらないとか、米国の金利が大幅に下がったのに円高にはならないとか、これまでの動きとずいぶん異なるパタンになっている。株式市場の行動原理は予測困難である。
私は以前から、日本の検査体制は不足していると言ってきた。最近は十分になったのかどうかはまだ分からないが徐々に改善はされてきていると思う。
私は、各国の検査体制は致死率で測れるのではないかと思っている。COVID-19の致死率は大体1%と言われている。ある程度患者数の多い国で致死率を見ると、米国と韓国がほぼ1%である。中国、イタリア、スペイン、イランなどはかなりこれよりも高い。これは感染者を十分に把握できておらず、重症化した人のみを患者として捉える傾向が出ているのではないかと思っている。中国は1月末から2月初めに体制ができておらず、その頃に見逃しがかなりあったのだろうと思っているが、それは今では沈静化しているとみて良いだろう。これから、一番心配なのはイタリア、スペイン、イランである。これらの国では実態としての感染者数はまだまだたくさんいるとみて良いだろう。米国は致死率から見ると患者を把握できているように見えるが、ここ一週間の患者数急増がどこで止まるかが大きな問題である。
ドイツは、致死率が1%を大きく下回っている。これは、安全のために実際にはCOVID-19ではないのだが、そう判定されている人がいるか、これから致死率が上がってくるかのどちらかだろう。ドイツは管理されていると思う。
日本は感染者800人で死者28人なので平均よりはかなり高い。これは少なくとも1週間前の保険適用が始まるまでは検査人数が少なすぎたのだと解釈している。現在、検査体制が十分なのかどうかは分からないのでまだ不安は続くだろう。

2020年3月15日日曜日

「見識」と「知識」

最近、私は「見識」という言葉が気になっている。あまり頻繁に使われる言葉ではないが重要だと思っている。「知識」のほうは頻繁に使われるが、知識とは過去の出来事を正確に認識しているということで、クイズの内容などはその典型で、内容が変化することは無い。一方見識は、自らの知識を組み合わせて全体の流れなどを把握した状態を言い、同じ知識をベースにしても人によって見識は異なる場合もあるし、見識は知識を加えることによって変化する場合もある。
会議などで何かを決めようとするときには参加者間の見識をぶつけ合っているともいえる。見識は全ての人が持っていると思うのだが、それを会議などの場で語るかどうかについては、私のこれまでの経験では日本人の見識には二つの典型的なパタンがあると思っている。
一つのパタンは見識を語ることに非常に慎重で、事実、つまり「知識」だけを確認しようとするタイプである。このパタンは技術者に非常に多い。技術者は「80%正しい」ことを「正しい」と言い切ることに抵抗感がある。むしろ「20%正しくない」ということが気になってしまう。技術には再現性があるので、「必ず起こる」ことだけが正しいというイメージがあるからである。
その一方で見識を語ることを非常に安易にする人たちもいる。テレビに出てくるコメンテータなどはこの典型で、ベースとなる知識が曖昧であっても自分の見識を語る。51%正しいと思えば「正しい」というような感じである。私は彼らが最初から見識を語るのにルーズだったのではなく、知識が乏しい分野でも司会者から意見を求められ、「何か言わないといけない」という立場に追い込まれて、それを繰り返すうちに感覚がマヒしてくるのだと思っている。
日本総研の寺島実郎氏などはいつも見識を持って語っていると私は感じている。彼の意見に賛成できない場合もあるが、見識無しに語っていると感じたことは無い。
私自身、技術者だったので「見識」を語ることには慎重だった。元々、技術者の中では見識を語るほうだと思っているが、私の大きく変えたのは国際標準化に参加してからである。話を前に進めるには自分の意見を前に出していく必要がある。私自身は国際標準化に参加してかなり鍛えられたと思っている。
更に、10年前に会社を退職して、コンサルティングを行うようになって更に見識を語るようになった。コンサルティングでは見識無しでは仕事ができない。
政治家などは見識が全てのような仕事であり、知識は不十分でも見識を語れることが最重要である。十分な知識のない「意見」を「見識」の持ち上げる技術が非常に重要で、そのためには上質の情報を入手することが大切である。
物事を議論するのは将来どうなるか、将来どうするべきかを決めるために議論するので、そのために、日本の技術者がもっと自分の見識を前に出して、他人の見識とぶつけ合うことで自分の見識を鍛え上げることが重要だと、最近のコロナウィルス対応などを見て感じている。

2020年3月13日金曜日

トランプ氏の「五輪延期発言は日本への応援」

トランプ大統領の「五輪延期発言」が話題となっている。私は昨日、「オリンピック中止したら?」と書いたが、よく考えると中止は経済的インパクトが強すぎるので、延期が妥当だと思うようになった。
私はトランプ大統領が嫌いで、殆どの彼の発言は嫌悪感を持って聞いているのだが、「五輪延期発言」は好ましいと考えている。
昨日も書いたように、今年のオリンピックを予定通り開催することは無理なことは既に見え始めている。IOCも、日本勢(東京都とJOC)も現状は「予定通り開催」と言っているが早晩、見直しが必要になるのは明らかである。その場合、どうするか、中止、延期、無観客という3通りの方法があるが、中止が経済的損失が大きすぎるとすれば、残る選択肢は延期か無観客である。
IOCとすれば無観客が好ましいだろう。テレビ放映権は主にIOCに入るからである。一方、日本勢にとっては無観客はダメージが大きい。コストはかかるのに収入が殆ど得られないからである。一方、延期はIOCにとってダメージが大きい。テレビ局と再交渉しなくてはならず、買い叩かれる可能性が高いからである。日本勢にとっては延期のほうがダメージはずっと小さい。
遠からず、IOCと日本勢が対立することは目に見えている。その場合、IOCが「決定権はIOCにある」と言って押し切ろうとすることは容易に想像される。トランプ発言はこれに楔を打ち込んだものだと解釈している。トランプ氏は無観客試合についても発言しているので、既にこのような議論が米国大統領の耳にも届いているのだろう。
大統領がサポートしているとなれば米国のテレビ局も放映料をむやみに買い叩くことはしないだろう。日本勢は、現状の「予定通り開催」は無理だろうと言う認識の上に立って、トランプ発言に慎重に反応するべきであると思う。

2020年3月12日木曜日

大相撲春場所の無観客試合を見て

WHOがCOVID-19のパンデミックを宣言し、その影響で甲子園も中止になった。次の大きな判断はオリンピックだが、私は早く中止の判断をしたほうが良いと思っている。これからはオリンピック実施に向けて毎日何億円も経費がかかることだろうが、現状の流れでは予定通りできないことは確実である。延期や無観客試合も考えられるが、私は中止が一番すっきりしていると思っている。
今日のテーマは無観客で行われている大相撲である。テレビを見ていると、観客の居ない相撲の取り組みはいつもとかなり雰囲気が違うが、相撲内容はそれほど変わらず、やはり強い人が勝っている印象である。観客の声が入って来ないので厳粛な印象があり、いつもより、行司や呼び出しといった脇役が引き立っているので、この際に脇役たちがどんな仕事をしているかを知るうえでは勉強になった気がしている。
取り組みを見ていて感じるのは「モノ言い」が少ないことである。つまり、どっちが勝ったかビデオを見ないと分からないような際どい勝負は少なく、負けるほうがあきらめてしまう傾向が強い気がする。これが若干、勝負のきわどさを少なくしている感じがする。この辺りに若干観客がいないことによって力士の気持ちに盛り上がりが欠けている点が出ている気がする。
以前にも書いた、元大関の「照ノ富士」は先場所十両で優勝して、十両の上位に上がってきた。しかし、まだ「格」の違いを見せつけて勝っている感じがする。彼の力は御嶽海や、貴景勝といった調子が良ければ優勝候補になる力士と遜色ないと思っている。今場所もここまで5連勝であるが、来場所は幕内に入ってくるだろう。強い人が本来の地位に近づくという点は、中止にしないで無観客でもやってくれてよかったと思っている。

COVID-19に話を戻すと、今週に入って国内の新たな感染者数は増えている。これは検査体制が変わって検査をする対象者が増えたからで、感染が時に広がっているわけではないと私は解釈しているが、「何人検査して何人陽性」という全体の検査人数を発表していないので、解釈は難しい。政府は日々の検査人数を感染者数と一緒に発表するべきであると思っている。母数が分かると、十分に調査しているかどうかが分かる。

2020年3月9日月曜日

COVID-19の影響

新型コロナウィルスCOVID-19の影響は世界的に広がっている。COVID-19はWHOが命名した病名だが、なぜか日本のメディアはこれを使用しない。海外ではこの言葉が使われているのにどうしてだろうと、思っている。
現在、この影響は世界全体に広がり、世界の株価が下がっている。私も大分痛い目にあっているがまだまだ収束しそうにないし、まだ広がるだろうと思っている。
以前から私はこの問題に対して二つの気がかりな点を挙げている。一つは世界が協力しようとしない点で、これはトランプ政権が始めて安倍政権が流れを決めた、と思っている。そしてこの姿勢は今でも変わっていない。他の国と協力するのではなく、自国民が他の国からウィルスを移されることを警戒している。これは良くない姿勢だと思っている。
もう一つは、日本特有の問題であるが、検査数が少ないことである。検査能力は世界的に見て日本が特に低い、ということは周知の事実になっている。これには「検査装置の不足」という能力不足の側面と、「検査装置はあるのに体制が不備である」という体制の問題とがある。後者の問題は厚労省の対応のまずさによると私は考えている。最近になって、この検査数が少ないことを擁護するような発言がテレビやラジオと言ったメディアで目に付くようになってきた。その根拠は、検査は正しいとは限らず見逃す場合もある。検査で発病が見つかりすぎると医療体制が追い付かない、などである。
検査をしないよりはしたほうが良いに決まっている。検査をしてどれだけの患者数がいるかを正確に把握したうえで、自宅待機にするのか、入院させるのかを決めればよい。それなのにNHKのラジオで、「三宅民夫の真剣勝負!」という朝の番組のコーナーで、「やたらに検査数を増やさないほうが良い」という政治学者の意見を紹介している。これは、NHKに同じような考えを持つ勢力がいるとみて間違いないだろう。これではいつまで経っても実態の把握ができない。具合が悪くても検査を受けられず、死亡してから「コロナウィルスに感染していたことが分かった」などと言う発表もまだ出ている。
日本は問題は大きく取り上げられ、活動自粛に入っているので、感染者数の増加は抑えられている。しかし、収束には他の国よりも時間がかかるだろうと思っている。
今後は世界に広がる、パンデミックの可能性が高い、と私は思っている。特に問題なのはインドとか中南米とか医療があまり整備されていない地域で爆発的に広がる可能性である。オリンピック中止もまず間違いないだろう。私自身はあまり出歩かないので感染の可能性は低いと思っている。株価がどこまで下がるか、が私にとっては最大の懸念である。