2020年9月11日金曜日

日本の社会哲学は見直しが必要

 ここ数年、私は1年に1回程度、社会哲学に関するブログを書いている。社会哲学とは「社会性を哲学する」というような意味合いで使われることが多いようであるが、私は「社会を特徴づける哲学」もう少し具体的に言うと「社会を特徴づける価値観」という意味で使っている。

「特徴づける」とは他の社会と異なって重要視されている価値観、と言える。企業などで独自の価値観を持っていてそれに合う従業員の実を採用するイケアのような企業は「企業哲学」を持っていると言えるだろう。ここでは国毎に異なる価値観つまり国の哲学を対象としたい。

例を挙げると米国の社会哲学は「自由と競争」、ドイツの社会哲学は「論理の積み上げ」、北欧の社会哲学は「自立した個と相互扶助」であると思っている。日本はどうかというと「組織に対する深いコミットメント」だと思っている。日本の企業人の犯罪は「組織のため」ということが非常に多い。これに対して外国の企業人の犯罪は「自分のため」が殆どである。日本人は組織を護るためならば自分個人のためよりも反社会的行動をとる規律が下がるように思う。

また、大学でも企業でも日本では「ある組織の一員になる」ことを非常に重視して、組織のメンバーとなった後は組織が「個人を育成してくれる」という期待を持っているし、組織でもできるだけ全員を引っ張っていこうとする。

自民党の総裁選挙であっという間に実質的勝者が決まってしまったのも、自民党の議員が自分で選択しようとせずに、自分の親分の判断に無条件で従うような社会になっているからだろう。小泉元総理が派閥を壊そうとしたが、彼が総理大臣から離れるとたちまち派閥原理に戻ってしまった。国会議員も自分の親分がいないと不安になるのだろうと思う。

このような日本の社会哲学には良い面もあるのだが、今後世界との競争が激化すると思うと、勝ち抜けないのではないかという危惧を私は感じている。20世紀前半に共産主義が資本主義に代わる概念として登場して一時的にはかなりの勢力になったのだが、結局は共産主義国は経済的に発展せず、経済運用としての共産主義は消えていった。これは計画経済はいかに良くできたものでもイノベーションが起こりにくく、個人が欲望に基づいて次々とアイデアを出す資本主義に追従できなかったということだと思っている。これからの社会はイノベーションを起こしやすい仕組みになっていないと淘汰される。イノベーションを起こしやすくするには個人個人のアイデアが出やすくするする仕組みが不可欠だと思っている。

それではアメリカ型にすれば良いかと言うとそうではない。日本の特徴を生かした価値観を打ち出していく必要がある。昨年私は「和して同ぜず」はどうか、と書いたのだが、今はこれでは弱く、もっと個人の自立を強く打ち出す必要があると感じている。ただし現時点で適当なアイデアは無い。いずれにせよ、「日本の社会哲学はどうあるべきか」、広範な議論が必要だと思う。




1 件のコメント:

  1. Casinos in Malta - Filmfile Europe
    Find the best 룰렛 돌리기 Casinos in Malta including bonuses, games, games and 슈어 맨 the history of kadangpintar games. We cheap retro jordans cover all the main reasons to visit Authentic jordan 7 retro Casinos in

    返信削除