会議などで何かを決めようとするときには参加者間の見識をぶつけ合っているともいえる。見識は全ての人が持っていると思うのだが、それを会議などの場で語るかどうかについては、私のこれまでの経験では日本人の見識には二つの典型的なパタンがあると思っている。
一つのパタンは見識を語ることに非常に慎重で、事実、つまり「知識」だけを確認しようとするタイプである。このパタンは技術者に非常に多い。技術者は「80%正しい」ことを「正しい」と言い切ることに抵抗感がある。むしろ「20%正しくない」ということが気になってしまう。技術には再現性があるので、「必ず起こる」ことだけが正しいというイメージがあるからである。
その一方で見識を語ることを非常に安易にする人たちもいる。テレビに出てくるコメンテータなどはこの典型で、ベースとなる知識が曖昧であっても自分の見識を語る。51%正しいと思えば「正しい」というような感じである。私は彼らが最初から見識を語るのにルーズだったのではなく、知識が乏しい分野でも司会者から意見を求められ、「何か言わないといけない」という立場に追い込まれて、それを繰り返すうちに感覚がマヒしてくるのだと思っている。
日本総研の寺島実郎氏などはいつも見識を持って語っていると私は感じている。彼の意見に賛成できない場合もあるが、見識無しに語っていると感じたことは無い。
私自身、技術者だったので「見識」を語ることには慎重だった。元々、技術者の中では見識を語るほうだと思っているが、私の大きく変えたのは国際標準化に参加してからである。話を前に進めるには自分の意見を前に出していく必要がある。私自身は国際標準化に参加してかなり鍛えられたと思っている。
更に、10年前に会社を退職して、コンサルティングを行うようになって更に見識を語るようになった。コンサルティングでは見識無しでは仕事ができない。
政治家などは見識が全てのような仕事であり、知識は不十分でも見識を語れることが最重要である。十分な知識のない「意見」を「見識」の持ち上げる技術が非常に重要で、そのためには上質の情報を入手することが大切である。
物事を議論するのは将来どうなるか、将来どうするべきかを決めるために議論するので、そのために、日本の技術者がもっと自分の見識を前に出して、他人の見識とぶつけ合うことで自分の見識を鍛え上げることが重要だと、最近のコロナウィルス対応などを見て感じている。
0 件のコメント:
コメントを投稿