クリスマスが過ぎると急速に年末感が出てきて、私自身もこの1年を振り返ってみた。今回は私自身のことではなく世の中の動きについて整理してみたい。
この1年の最大の出来事は何といってもロシアのウクライナ侵略だろう。メディアでは戦争という言葉を使う人が少なくないが、私はこれは「ロシアのウクライナに対する侵略」であり、「戦争」という言葉を使うのは不適切だと思っている。これを収束させるにはロシアがウクライナから撤退するしかないと思っている。「早く戦争が終わってほしい」などという人はウクライナがロシアに降伏する結末でも良いと思っているのかと勘ぐってしまう。しかし、ロシアが撤退する気配はなく、いつこの侵略が終わりになるかは、見えていない。
国連では持続可能な17の目標、SDGsを掲げ、この言葉は私の周りでも聞かれるようになった。これは人類が今後数百年、生き延びるための国際的な目標だと思っているが、国連決議を全く無視する国があり、その国に対して強制することができない以上、どの程度有効なのかは不明だと思う。仮に米国でトランプ氏が大統領に復帰すれば「SDGsなんか関係ない」と言い出す可能性は高いと思っている。つまり、国連の決定は緩やかな目標という程度だといえる。ただし国連の決定に強制力がないからと言って役に立たないことはない。ゆるやかな合意でも世界の合意の影響力は小さくない。ロシアに対しても力で抑え込むことはできなくても、可能な範囲でロシアを抑え込んでいく役には立つだろうと思っている。
このような状況で、我々は何ができるだろうか? やはり、世界で受け入れられる方向性を提案してまとめていくことができることだと思う。非力ではあるが考えてみたい。
ここ数年、世界は危険な方向に向かっている。ロシアはすでに一線を越えたしまったし、中国も危険な状態に入りつつある。米国でもトランプ氏のような人物が存在感を高め、欧州各国でも極端な意見を言う政党が存在感を高めている。私はこの根本理由が、「世界が第2次大戦後、資本主義圏と共産主義圏に分かれ、資本主義圏が勝ったことによって確立したと思った、『民主主義と資本主義の組み合わせで世界はうまくいく』という考えに行き詰まりが感じられているからだ」であり、民主主義と資本主義の見直しが必要だと思っている。なぜ、行き詰ったのかというと、貧富の差が広がっているからだろう。
誰の幸福を願うか、という点でも合意が取れそうである。つまり国民全体の幸福を願うべきだということである。一部の国では一部の人の幸福だけを求めている。現在のロシアでは国民ではなく「国」が良くなることを狙っている。国民を軽んじてでも国が良くなることを狙うのは、結局支配者個人、あるいは支配者層の幸福を狙っているもので、長続きしないと思う。つまり、「国民全体の経済的豊かさを狙う」というのが、これがすべてではないが、外れのない哲学になるように思う。
民主主義はそのための政治体制だが、選挙制度を含めて今一度、見直しておく必要があるだろう。例えば中国は民主主義国ではないが、鄧小平から胡錦涛までの時代、中国は殆どの民主主義国よりもうまくやっていたと思う。問題は現在のように個人崇拝の性格が強まってきたときに、リーダの暴走を止めることができるかにあるが、今後10年くらいで結論が出るだろう。
選挙で国のリーダを決める民主主義国での問題はいわゆるポピュリズムの台頭である。これはリーダになる人物は国民全体のことを考えずに選挙を自分が権力を握る手段として利用することを意味している。こういう人物がリーダになると、選挙制度を変えて自分に反対する人たちは投票しにくくなるようにして、体制を万全にしようとする。米国も危ない状況だったと私は思っている。さらに進むと警察権力を利用して反対派を抑え込む、こうなると民主主義は形だけのものになってしまう。
それで、どういう方法が良いのか? 私にもアイデアはない。しかし、欧米の有識者は知恵を絞っているはずで、いずれ良い方法が見つけられ、制度として取り込まれるのではないかと期待している。
経済問題に関しては、次回に議論したい。
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